第1部 第18話
 
 
 
「ない」

自分でも、ちょっと即答過ぎるかな、と思うくらい、
私はすぐに答えた。

すると案の定、月島君は少し笑った。

「ありませんか」
「月島君はあるの?」
「はい」
「・・・え?」

月島君も即答だった。
でも、その答えは私が予想していたものとは正反対で、
私は思わず聞き返した。

「月島君・・・恋愛に興味あるの?」
「はい。恋愛に、っていうか、恋愛にも、かな」
「?」
「誰かを好きになって恋人同士になったり、凄く仲の良い友達ができて信頼関係が生まれたり・・・
そういうのって、経験してみたくありませんか?」
「・・・興味ない」

私は正直に答えた。
月島君はそんな私にまた質問してくる。

「小倉先輩は将来、企業家になりたいんですよね?」
「そうよ」
「僕も最近やっと、企業家になりたいかもって思い始めました」
「・・・」

月島君の口調は穏やかで優しい。
でも、そのどこかに、私をいさめる、というか、諭すような響きがある。
中学1年生の月島君が、高校3年生の私に、何を教えれると言うのだろう。

「でも僕は、ただの企業家は嫌です。なるなら、優れた企業家になりたいです」
「もちろん、私だってそうよ」
「そうですよね。当然ですよね」
「そうよ」

月島君が私の目を見る。

何よ。
何なのよ。

「だから僕、たくさん友達を作って、恋愛もして、喧嘩もして、仲直りもして・・・
色々経験したいんです。そうしないと、人間、育たないと思いませんか?」
「・・・」
「恋愛をしたこともない、友達もいない。そんな人間に、会社は作れないと思います。
だって、会社を作るってことは、そこで働く人を育てるってことだから」

とても中学1年生とは思えないその言葉に、私がポカンとしていると、
月島君は子供らしい純粋な笑顔でこう言った。

「企業は人なり」
「え?」
「僕の座右の銘です」





ふざけるんじゃないわよ。
たかだか12歳のくせして。

私はベッドの上で布団をかぶり、みの虫のように丸まった。

日本のどこに、「企業は人なり」なんて言葉を座右の銘にしてる12歳がいるってのよ。
かっこつけちゃって。
私だってね、そんな言葉知ってるし、人材育成の大切さだってわかってる。

ただ・・・そう、ただ今は、勉強に打ち込むべき時なのよ。
恋愛だとか友情だとか、そんなものはいつだってできる。
別に今やらなくったっていいじゃない。
高校を卒業して、大学に入って勉強して、大学を卒業して、それからでも・・・

ううん、それからは、社会人としてシビアに働かなきゃいけないから、
それこそ甘ったるい人間関係なんかにうつつを抜かしてる場合じゃない。

・・・じゃあ、私はいつ、恋愛とか友情を経験するんだろう。


私はのっそりとベッドから起き上がった。
時計の針はもう夜中の1時を過ぎていて、
春美ちゃんのベッドからはもちろん、規則正しい寝息が聞こえている。

今日は土曜日だけど、やっぱり宮野さんのところには行かなかったんだ、

そんな余計なことが頭をよぎる。


もしかして・・・
もしかして、恋愛とか友情は、もっと幼いうちに経験しておくべきだったんだろうか。
中学時代とか、遅くとも高校2年までに。
だって、3年生になったら受験でそれどころじゃないし、
大学生になったら・・・日本の一般的な大学生みたいに遊んでる場合じゃない。
周りはライバルばかりだ。

ということは、湊君や春美ちゃんは正しい道を歩んでいることになる。
学食の裏で逢引していたカップルも。

そして、月島君も正しい道を歩もうとしている。

それに引き換え、私は・・・


何もしてこなかった。
勉強以外、何も。


でも、時間はもう巻き戻らない。
私はこのまま大人になるしかないんだ。
そしてこのまま、企業家になるしかないんだ。

でもこのままで、私は本当に立派な企業家になれるんだろうか。
「企業は人なり」なのに・・・


私はパジャマの上からパーカーを羽織ると、フラフラと部屋を出た。
そのまま廊下を歩き、エレベーターで1階に下りる。

そして、ほとんど無意識とは言え、守衛さんのいる正面入り口は避け、
裏口から寮を出た。

でも、何も徘徊している訳じゃない。
行きたいところがあるのだ。
今、どうしても行きたいところが。

私は真っ暗な夜道を突っ切り、
真っ暗な建物の裏へ回った。

校舎だ。

正面玄関はもちろん施錠されているけど、
実は1階の渡り廊下の扉が壊れていて、鍵がかからない。
噂では、夜に校内で恋人と会うために、誰かが壊したらしい。

本当か嘘か知らないけど、とにかく今はここを壊してくれた誰かに感謝だ。

私は音を立てないようにそっと学校の中に忍び込んだ。

真っ暗だけど、通いなれた校内は、どこに何があるか手に取るようにわかる。
しかも私が今向かっているのは、その中でも特に通いなれた場所・・・図書室だ。


「企業は人なり」

松下電器産業創業者の松下幸之助氏の言葉だ。

どうして忘れていたんだろう。
子供の頃、「日本の偉人伝」というシリーズの本で、
松下幸之助の話を読んだ私は、子供ながらに雷に打たれたようなショックを覚えた。

日本中どこでも目にする「松下」の文字は、この人から来ているんだ。
こんな波乱にとんだ人生を送った人がいるんだ。
昔の日本に、こんな考え方の人がいたんだ。

この人が・・・「経営の神様」なんだ。

松下幸之助から強烈なインパクトを受けた私は、
いつしか彼に憧れ、企業家を目指すようになった。

そして、最初の頃こそ「企業は人なり」という言葉を、
私も座右の銘のように大切にしていたのに、
勉強に明け暮れる毎日を送っているうち、
いつしか「企業家になること」そのものが目的になってしまい、
肝心の「どんな企業家になりたいのか。どんな会社を作りたいのか。どんな人を育てたいのか」
なんてことは、二の次になっていた。

とにかく勉強して、一番偉い「社長さん」になるんだ、

そのことで頭がいっぱいだった。

でも今日、月島君から久々に「企業は人なり」という言葉を聞き、昔を思い出した。
まだ純粋に「社長さんて、なんかかっこいいな」と漠然と思っていた昔を。

そうしたら急に、松下幸之助の本が読みたくなり、
居てもたってもいられず、今こうして図書室に忍び込んでいる。


「・・・しまったな、携帯、持ってきたら良かった」

私は口の中で呟いた。

思えば、海光に入学してから図書室で読んでいたのは全て参考書かビジネス本。
松下幸之助の本は、あるはずだけど読んだことがない。
もう、そんな「偉人伝」に興味はなく、これからの自分のことしか考えていなかったから。

だから、図書室へは何度も来ているけど、松下幸之助の本がどこにあるのかわからない。
でもまさか、電気をつけて探すわけにもいかないし・・・
携帯があればライトで照らして探せるのに。

私はそれらしい本を数冊手に取り、月明かりが差し込む窓辺に持って行き中身を確認するという作業を
幾度となく繰り返した。
そして、ようやく目当ての本を見つけた時には、心底ホッとした。

それから私は月明かりの元、時間も忘れて松下幸之助の生涯を綴った本を読みふけった。
ページを一枚一枚めくるごとに、私の心からも何かが一枚一枚はがれていくような感覚にとらわれる。
それはとても不思議な感覚で・・・とても心地よいものだった。


最後のページを読み終え、私はぼんやりと窓越しに月を見上げた。


そうか・・・そうだったんだ。



その時、突然、図書室の扉が開いた。
大きな音ではなかったけど、この静寂と暗闇の中では、
ドアノブを回す音すら部屋中に響き渡るように感じる。


先生?
それとも、警備の人?


私が恐る恐る振り返るとそこには・・・

湊君と春美ちゃんが立っていた。

 
 
  
 
 
 
 
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