第3部 第17話
 
 
 
もう真冬だというのに、私は額に汗をかいていた。

ダンボールにガムテープを貼り、
サインペンで「服」とか「本」とか、
中に入っている物を書く。

眼鏡が壊れたのを機にコンタクトにしてみたけど、
こういう仕事の時はいかに眼鏡が邪魔だったか、
コンタクトにして初めて気がついた。

「亜希子さん、それで全部ですか?」
「うん」
「じゃあ、荷物は私が廊下に出しますね。廊下からは業者の人が運んでくれることになってますから」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
「当たり前です。そんなお腹でダンボールを担がれた日には、私の立場がありません」

私は、「そうね」と言って笑いながら、
自分の腰をトントンと叩いた。



今日は12月24日、クリスマスイブ。
そして海光の2学期の終業式の日でもある。

つまり、高校3年生にとっては、実質高校生活最後の日だ。
ほとんどの生徒は、3学期は家で勉強するから学校にも寮にもこない。
私も受験はしないけど、今日退寮する。

さっき講堂で終業式を終え、荷物もようやく全てダンボールと鞄に詰めることができた。

本当は、今日までなんとか制服で過ごしたかったけど、
11月中旬頃からお腹が急に大きくなり、断念してマタニティの服で授業に出た。
海光には制服を着ないといけないという校則はないけど、
みんな制服を着ている。
そんな中、1人私服、しかもマタニティ。
目立つの目立たないのって・・・

中等部の生徒まで、見学に来る始末だった。

ただ、相変わらずみんな私のことを遠巻きに好奇の目で見てはいたものの、
マタニティを着だしてからはその好奇の目から敵意のようなものが消え、
純粋な好奇心だけになった。

多分、大きなお腹を見ると、嫌でもそこに赤ちゃんがいることを意識せざるを得ないのだろう。
私を非難することは、私のお腹の中にいる何の罪も無い赤ちゃんも非難することにもなる。
みんなそれは気が咎めるようだ。

中には私を「妊娠した女の子」ではなく「母親になる女の子」という目で見てくれる生徒もいた。
特にそう言われた訳ではないけれど、なんとなく分かるものだ。

それに卓巳と月島君は全面的に私の擁護に回ってくれた。
卓巳は、私がクラスメイトから冷たくされていても、いつも通り接してくれたし、
月島君も、私がしなくてはならない生徒会の仕事を引き受けてくれた。

そして何より春美ちゃん。
例えどんな覚悟があっても、春美ちゃん無しでは今日まで学校生活を送れなかったと思う。
重い荷物を運んだりするのはもちろん、
日常生活の様々なところで、春美ちゃんは私を助けてくれた。

本当に感謝してもし足りない。


「今日のイベントが終われば、私も学校を去るのね・・・」

私がそう呟くと、春美ちゃんがダンボールを持ち上げながら笑った。

「卒業式があるじゃないですか」
「でも予定日の1週間前だから出られるか分からないなあ。
お腹もすごく大きくなってるだろうし」
「まだ大きくなるんですか!?」

春美ちゃんが目を見張る。

「なるみたいよ。最後2ヶ月くらいが一番急成長するんだって」
「それ以上大きくなったら、お腹がポロって落ちちゃいそうですね」
「ふふ、そうね」
「あ。亜希子さん。先に校庭行っててください。
私は荷物を廊下に出してから、ダッシュで追いかけます。亜希子さん、歩くの遅いし」
「はいはい。よろしくね」

私はコートを羽織ると、孫に気遣われているお婆さんの気分で、
最後のイベントが行われる校庭へ向かうことにした。




校庭に出ると、強い北風が吹いた。
日も落ち、真っ暗なので余計に寒く感じる。

だけど私は寒さも忘れて、
目の前に広がる幻想的な光景に見入った。

そこには無数に揺らぐロウソクの炎。
そしてその中央に一際大きく輝くキャンドルが立っている。

毎年見ているけど・・・何回見ても、本当に美しい。


一体、誰がいつ何のために始めたのかは分からないけど、
この「クリスマスイブのキャンドル」は今や海光の名物だ。

校庭の中央に大きなキャンドルが灯され、
生徒達がそのキャンドルからロウソクに炎を移し、校庭に立てる。
その時に、願い事をするのだ。
ロウソクが燃え尽きるまで火が消えなければ、その願いは叶う、
途中で火が消えてしまえば、願いは叶わない。

そんな風に言われている。

みんな自分のロウソクが最後まで燃え尽きたかどうかを見るために、
25日の朝まで寮に残り、結果を見届けてから家に帰る。
でも、校庭は風が強いからほとんどのロウソクは途中で消えてしまう。
私も今まで5回ロウソクを立てたけど、最後まで燃え尽きることは一度もなかった。
多分今年も途中で消えてしまうだろう。
だから、もう今日中に寮を出ることにした。

でもこのイベントは好きだから、
ロウソクを立てて願い事はしていこう。

校庭のベンチの上に置いてあるロウソクを一本取り、
大きなキャンドルから火を移す。
そして風で火が消えないように、身体で火を守りながら、そっと地面に立てた。

私の願い事は、毎年同じ。


――― 自分の夢を実現できますように


それは今年も変わらない。
ただ、「夢」の内容が変わっただけだ。


大きなお腹をさすりながら立ち上がり、
私は校庭の隅へと移動した。
妊婦は薬を飲めないから風邪を引くわけにはいかないけど、
この光景をもう少し見ていたい。

私がこれを見るのは、今年で最後なのだから。


ふと寮の方を見ると、ちょうど春美ちゃんと湊君が一緒に校庭へ出てきた。
2人で楽しそうに話しながら、ロウソクを立てる。

2人は何を願っているんだろう?


先日、春美ちゃんの留学が決まった。
これで春美ちゃんと湊君は一緒にアメリカへ行くことができる。

どちらか片方だけだと私も心配だけど、
2人一緒なら、まあ大丈夫だろう。

もしかしたら2人とも、無事留学できることを祈っているのかもしれない。


春美ちゃんが、湊君のロウソクを見ながら湊君に何か話しかけた。
湊君は笑顔で「うん、うん」と頷き、わざと大袈裟に目を閉じて胸で十字を切り「アーメン」とやる。
そんな湊君を見て、春美ちゃんも笑っている。

なんだかんだ言って、あの2人は仲が良い。

かつてはお互い好きだった仲だ。
見知らぬ土地で協力し合っているうちに、また惹かれ合うかもしれない。
そうなれば今度こそ付き合うことになるだろう。

春美ちゃんから「湊君と付き合うことになりました」なんてメールがきたら、どうしよう?
なんて返事したらいいかな?
「おめでとう」?
私が言うと嫌味っぽいかな?

そうなると決まったわけではないのに、
そうなったとしても私は文句を言える立場じゃないのに、
想像すると胸が少し苦しくなる。

もし私が妊娠していなかったら、
今、湊君と一緒にロウソクを立てているのは春美ちゃんではなく私で、
「一緒にアメリカに行けるね」なんて話しているんだろうな。

じゃあ私、妊娠しない方がよかったの?

今までずっと「そんなことない。私は妊娠してよかった」と思ってきたけど、
あの春美ちゃんと湊君の笑顔を見ていると、
思わず「もしも・・・」と考えてしまう。

ごめんね、赤ちゃん。

そう思って、お腹に手を当てた時。

「小倉先輩」

え?

気が付くと、目の前に綺麗な女の子が立っていた。
確か高等部の1年の子だ。
寮で見たことがある。

「あ、いきなり、すみません。私、高等部1年の
本竜ほんりゅうと言います。はじめまして」
「はじめまして」

本竜さんは礼儀正しくお辞儀をした。
いつもはちょっと冷たい印象の女の子だけど、
今日はどことなく優しい笑顔を湛えている。

「私、小倉先輩のこと応援しています!」
「え?」
「今日、ロウソクに『小倉先輩が無事に赤ちゃんを産めますように』ってお願いしておきました。
頑張って元気な赤ちゃんを産んでください!」
「・・・ありがとう」

それだけ言うと本竜さんはもう一度お辞儀をして、
寮の方へ走って行った。

私はちょっと驚いた。
この「クリスマスイブのキャンドル」は所詮イベントの1つで、
子供じゃあるまいし、願い事が必ず叶うとは誰も思っていない。

でも、学校という限られた空間の中では、
生徒にとっては大事なイベントで、みんな楽しみにしている。
みんな、それなりに本気で願い事をするのだ。

そんな1年に一度の大事な願い事を、見ず知らずの私の為に使ってくれるなんて・・・



校庭には風に揺れながらたくさんのロウソクが立っている。
そのほとんどは、最後まで燃え尽きることなく途中で消えてしまう。

だけどきっと、私の願いは叶う。

そんな気がした。
 
 
 
  
 
 
 
 
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