第3部 第4話
 
 
 
「ただいま」

私が家に入ると、お母さんがすっ飛んできて私の手から荷物を奪い取った。

「またこんな重い鞄持って!荷物は最小限にしなさいって言ったでしょ!」
「はいはい。これでも少なくしたのよ」
「どこが!どうせまた勉強道具が入ってるんでしょ!」
「入ってない、入ってない」

私は苦笑いしながら玄関を上がった。


今までは長期連休しか実家に帰ってきてなかったけど、
最近は週末によく実家に泊まりに来る。
妊娠しているのに寮生活を続けている私を、両親が心配してるからだ。

寮の食事は味が濃いんじゃないか、とか、
無理して勉強してるんじゃないか、とか、
重いものを持ってるんじゃないか、とか。

心配しすぎだ。
別に妊娠は病気じゃないのに。

「何言ってるの!流産でもしたら、悔やんでも悔やみきれないわよ!」
「はいはい」

私の妊娠を知って、真っ青になってた人の言葉とは思えない。

「あ、見て。昨日、母子手帳貰って来たの!」

私がダイニングのテーブルの上に母子手帳を出すと、
お母さんは目を輝かせた。

「懐かしいわねえ!へえ、最近の母子手帳ってかわいい表紙ね」

確かにかわいい。
ピンクの表紙には天使のような赤ちゃんの絵が描かれている。

「昔はもっと素っ気無い手帳だったのに。そう言えば亜希子の母子手帳ってどうしたかしら」
「大事に取っといてよ」
「もう必要ないでしょ。あんたももう18なんだし。
・・・でもまさか、こんなに早く亜希子が母子手帳を持つなんて思わなかったわ」
「私も。一生持たないかも、って思ってたのに」
「ふふふ、そうね」

私はテーブルの上に置いてあったペンを手に取り、
母子手帳の表紙の「母の名前」という場所に「小倉亜希子」と書き込んだ。
「子の名前」はまだ考えてないから書けないな。

そしてもう1つ、名前を書けない場所がある。
「父の名前」だ。
きっとここは、ずっと空白のままなのだろう。

湊君と別れて1人で子供を産んで育てる、ということは、
この子には父親がいない、ということだ。

そんなのは分かり切ったことなのに、
こういう時、改めて「ああ、この子には父親がいないんだ」と思い知る。
病院でも、大きなお腹の妊婦さんの横に旦那さんが付き添っていたりすると、
「いいなぁ」と思う。

自ら放棄したことなのに。


手をお腹へ持っていく。

ごめんね、あなたにはお父さんはいないのよ。
でも、その分私があなたに愛情を注ぐから許してね。


「あ、そうだ。亜希子、これ見て」
「え?」

お母さんが冷蔵庫の野菜室を開く。
そこには、黄色い大きな物体がゴロゴロゴロゴロ・・・

「何、これ?」
「グレープフルーツ」
「グレープフルーツ?」
「亜希子が帰ってくるからって、昨日お父さんがスーパーで買ってきたの」
「ええ!?」

お父さんがスーパーに行った!?
織田信長がスーパーに行ったって聞いても、こんなに驚かない!!
(卓巳の影響か・・・)

もはや職人とでもいうべき技術屋の父は、
家のことを全然しない。
掃除洗濯炊事はもちろん、自分の下着の場所もわからないという、
典型的な「昭和生まれのお父さん」だ。

そのお父さんがスーパーで買い物!

ちゃんと支払いできたんだろうか・・・

「私が亜希子を妊娠してる時、つわりが酷くてグレープフルーツしか食べれなかったの。
お父さん、それを覚えてて買ってきたのね」
「・・・そうなんだ」

グレープフルーツを一つ手に取ってみる。
幸いなことに、私はつわりも偏食もない。
だからグレープフルーツは必要ないんだけど・・・

「・・・1個、食べようかな」
「そうして。寮にも持って帰ってね」
「うん」


グレープフルーツは、なんだか少ししょっぱかった。





自分の部屋に入ると、私は勉強机に座った。

・・・。

あれ。
座って何をしよう。

ほんと、長年の習慣って恐い。
この部屋に入ったら、もう身体が勝手に机に向かって、
勉強を始めてしまう。

自分に呆れながら机を離れたものの、
本当に何をしていいのか分からない。

私、本当に勉強しかしてこなかったんだな。


・・・そうだ!


私は荷物の中から雑誌を取り出した。
妊婦さん向けの雑誌で、妊娠中や出産に関するアドバイスが書いてある。
体験談なんかもあって、面白い。

学校の図書室にある経済誌やビジネス誌はよく読むけど、
自分で雑誌を買ったことなんてなかった。
生まれて初めて買った雑誌が、妊婦さん用の雑誌なんて、笑ってしまう。


もう何度か読んだそれをパラパラとめくっていると、
中から紙が2枚、ヒラヒラと落ちた。
拾って見てみると、レシートだ。
一枚はこの雑誌を買った時のレシート。

もう一枚は・・・

ピアスのレシートだ。

私はそれをジッと見た。

これを買ったのは、夏休みの終わりだ。
あの時は辛かった。
これが湊君にあげる最初で最後のプレゼントなのだと思うと、
いっそ買わずに帰ろうかと思ったくらいだ。


今日、久しぶりに湊君に会った。
会ったというか、学食で見ただけだけど。
付き合っていた時は、校内でも無意識に湊君の姿を探していたからか、
廊下でも学食でもしょっちゅう湊君を見かけた。

でも、別れてみると、湊君とは全く会わなくなった。

元々教室がある階が違うし、
お昼休みも大勢の生徒が一斉に学食に押しかけるから、
探しでもしない限り湊君を見つけることはできない。

それが今日、友達とお昼ご飯を食べている湊君をたまたま見つけた。

湊君は、いつもの明るい笑顔だった。
友達に何か言って小突かれたり、
近くを通りかかった月島君に顔をしかめたり。


ホッとした。


だけど・・・
湊君が横を向いた拍子に、湊君の右耳が見えた。
そこには以前と変わらず、赤いピアスが光っていた。
 
 
  
 
 
 
 
 ↓ネット小説ランキングです。投票していただけると励みになります。 
 
banner 
 
 

inserted by FC2 system