第3部 第5話
 
 
 
夏休み最初の日。
私は気分も体調も最低だった。



「じゃあ、夏休み楽しんでね」
「はい。先輩も。また夏休み明けに」
「うん」

私は月島君に笑顔で手を振り、電車を降りた。
でも、電車が行ってしまうと笑顔は自然と消え、
代わりに鉛を呑んだように重い気分になる。

駅を出ると、家には向かわず、
近くのドラッグストアに駆け込む。

予感はあった。
多分間違いないと思う。
でも、寮で確認する勇気はなかった。

どうしよう・・・
もし本当に・・・
あんなたった1回で、まさか・・・
いや、悩むのは結果が出てからだ。

そうは思っても、
不安と焦りで胸が潰れそうになる。


だけど、ドラッグストアの傍のスーパーのトイレで検査薬に「+」の記号が出たのを見た瞬間、
私は「産みたい」と思った。

自分のお腹の中に湊君の子供がいるのかと思うと、
色んなことは取り合えず置いといて、
純粋に「産みたい」と思った。

でもやっぱり、スーパーから家への道を歩いているうちに、
嫌でも親や学校や留学や将来のことが頭をよぎる。

産むとしたら、私はどうなるんだろう?

学校はやめないといけないだろうか?
留学は?
MBAは?
親は許してくれるんだろうか?

そして何より、
湊君はどう思うだろうか・・・


家に着く頃には、私の気分は再び暗澹たる物になっていた。


「お母さん・・・」
「何?そんな暗い顔して」

久しぶりに帰ってきた娘を見て、お母さんは呆れたように笑った。

「テストの結果でも悪かったの?」
「・・・」

私が落ち込む原因と言えば、それくらいしか思いつかないんだろう。
でもそれは、私自身のせいでもある。

「お父さんは?」
「仕事に決まってるじゃない。夜にならないと帰ってこないわよ」
「・・・そうよね」

産むにしても産まないにしても、両親には・・・いや、せめてお母さんには話さないといけない。
隠してて解決する問題でもない。

私は覚悟を決めた。

「お母さん。話があるの」
「何?」

お母さんの声は明るい。
まさかこんな話だとは思わないだろうから。

「私、妊娠したの」
「・・・は?」

お母さんが、お皿を洗う手を止め顔を上げる。

「今、なんて?」
「妊娠したの。お腹に赤ちゃんがいるみたい」

私が検査薬を見せると、お母さんは真っ青になった。

「亜希子、あなた・・・!なんてこと・・・!」
「・・・ごめんなさい」

悪いことだとは思わないけど、謝るしかない。

お母さんは水を止めるのも忘れて、しばらく呆然と検査薬を見ていたけど、
急に我に返ったように声を荒げた。

「誰なの!相手の人は!!」
「・・・」
「言いなさい!かばう必要はないでしょ!」
「・・・」

湊君だと・・・
海光の生徒だと言えば、お母さんはすぐに学校か湊君の家に連絡するだろう。

湊君には自分から話したい。
それに、湊君が責められるようなことにはなってほしくない。

「海光の子!?」
「・・・違う」
「じゃあ、誰なの!?」
「・・・わからない」
「はあ!?」
「その・・・バイト先に来たお客さんで・・・一度しか会ったことないから・・・」

こんな口から出まかせの嘘、信じてもらえるとは思わないけど、
とにかく湊君の名前は出したくない。

お母さんは諦めたようにため息をついた。

「いいわ。とにかく今から一度病院に行きましょう。
万が一、検査薬が間違ってて妊娠してないってこともあるかもしれないし」
「・・・うん」

まずあり得ないだろうけど。
それにお母さんは、私が妊娠したことよりも、
私が妊娠するようなことをしたことの方にショックを受けてるみたいだ。
例え妊娠が間違いだとしても、
お母さんのショックは消えることはないだろう。

そういう意味でも申し訳ない。
だけど、湊君とこうなったことに、後悔はない。



私とお母さんはすぐに家を出て、
車で家から少し離れた産婦人科に行った。

近所の人の目につくのを避けるためだろう。
特に、堕ろすのなら。

当然のことだし、
私に対する気遣いでもあるんだろうけど、
お母さんがそんなことを考えているのがショックだった。

産みなさい、と言ってくれることを期待してた訳じゃないし、
そう言われても困るのに・・・

私はどうしてショックを受けてるんだろう。




「妊娠5週目ですね」

優しそうな女の先生は、敢えてそうしているのか淡々と言った。

「予定日は3月20日。多少前後するかもしれませんが、その辺りです。
未成年ですから当然ですけど、お酒と煙草はやめてください。
後、自転車とバイクも禁止です」

先生は言葉を切った。
普通なら「おめでとうございます」とでも言うべきところなのだろうけど、
女子高生とその母親、という取り合わせは、どう見てもおめでたくない。

先生は当たり前のように言った。

「産むなら4週間後にまた来て下さい。
産まないのなら、早めに電話を下さい。手術の予定を入れます」
「・・・はい」
「はい、これが妊娠中の注意事項が書かれた本と、赤ちゃんの写真です」

私は、手渡された白黒の写真から目が離せなくなった。
写真の中央の黒い空洞。
その中に、白い点のような物が写ってる。
これが赤ちゃんらしい。

まだ人の形をしていないのはもちろん、これが生き物だなんて、とても思えない。

でも、これは間違いなく赤ちゃんなんだ。
湊君と私の赤ちゃんなんだ。


・・・生きてるんだ。





「産むつもりなんでしょ?」
「え?」

お母さんがフロントガラスから目を離さないままに言った。

「亜希子のことだから、一度決めたら何を言っても無駄だってことはよくわかってるわ」
「・・・うん」

私は写真を持つ手に力を入れた。

「亜希子がさっき『妊娠した』って言った時から、亜希子の心は決まってる気がしてたの」
「そんなことないよ、迷ってた」
「でも、産めるなら産みたいって思ってたでしょ?」
「うん・・・」

お母さんは何でもお見通しみたいだ。
そうだよね。お母さんなんだから。

「あの産婦人科、評判いいのよ」
「え?」
「先生も女の人だし新しくて綺麗だし。産むならああいうところがいいわよね」
「・・・え?」
「家から少し遠いけど車ならすぐだし、あの場所なら寮からでも通えるでしょ?」
「・・・お母さん・・・」

そんなことまで考えて、さっきの産婦人科に連れて行ってくれたの?

私は涙が出そうになるのを一生懸命堪えた。

「・・・ありがとう」
「何言ってるの」
「あのね・・・さっきの嘘。相手の人が誰か、ちゃんと分かってるの」
「そう」
「ちゃんと・・・本当に好きな人なの。だから産みたいの」

私がそう言うと、
お母さんはちょっとフロントガラスから目を離し、笑顔で私を見た。

「それを聞いて安心したわ。でも、お父さんには言わないほうがいいかもね。
亜希子の為っていうより、その子の為に」
「うん」

それからお母さんは、今日一番困った顔をした。

「さて、お父さんになんて言おうね・・・」
 
 
 
  
 
 
 
 
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