第3部 第6話
 
 
 
バシッ!!!


身体が吹っ飛びそうになるのを、なんとか両足で踏ん張って堪える。
誰かに顔を殴られるなんて、生まれて初めてかもしれない。

「何を馬鹿なこと、言ってるんだ!」
「お父さん!」

お母さんがお父さんの腕にしがみつく。

「妊娠しただと!?しかも産むなんて・・・何を考えているんだ!!!」
「ごめんなさい。でも、妊娠したの。産みたいの」

お父さんが真っ赤になる。

「産んでどうする!?どうやって育てる気だ!」
「・・・」
「学校は!?来年はアメリカに行くんだろ!?」
「学校も留学も辞める」
「!!!」

お父さんはもはや言葉も出てこないのか、
ただワナワナと震えた。



病院から帰ってきてから、
私は一生懸命考えた。
勉強している時でも、こんなに一生懸命考えたことはない。
でも、勉強で脳を鍛えてきたお陰か、理論的に物事を考えるのには慣れている。

まずは、と。

子供は産む。
これはもう絶対だ。
写真を見た瞬間、私の心は決まった。
誰がなんと言おうと産む。

次にMBAと留学をどうするか?
これは無理だろう。
一生無理という訳ではないけれど、少なくともこれからの5年か10年は無理だ。

私の中でいともあっさり、「MBA」と「留学」の文字が消える。

次に受験。
出産予定日が3月20日で、
日本の大学受験は2月下旬だから、受験は可能だ。
もちろん、ハードな受験勉強はできないけど、
体調さえ問題なければ受験はできる。

次に学校。
高3の3学期は授業がないので、ほとんどの生徒は受験に集中するために実家へ帰る。
だけど12月いっぱいは学校がある。
その頃はもう妊娠7ヶ月だ。
お腹が大きくなることを考えれば、隠しておくのは無理だろう。
ということは・・・学校は辞めざるを得ない。
まさか、妊娠している生徒を許してはくれないだろう。

ちょっと待って。
高校を辞めるということは、高校卒業の資格がないということ。
つまり、大学受験もできない。

「高校卒業」と「大学受験」の文字も頭から消える。
多少もったいない気はするけど、
「産む」という大前提を崩すつもりはない。

最後に・・・湊君。
湊君に「妊娠したから、学校を辞めて産む」と言えば、なんと言うだろうか。
湊君のことだ。多分速攻で「俺も学校を辞めて働く」と言うだろう。
でもそれは困る。
湊君の将来を潰したくないし、今働いたところで大して稼げるとも思えない。
湊君にはちゃんと高校を卒業して、大学も出て、やりたい仕事をやって欲しい。
その方が、私も嬉しいし経済的も助かる・・・

ここまで考えて、私の思考回路は止まった。

本当にそうだろうか?
湊君は本当に「学校を辞めて働く」と言うだろうか・・・

いや・・・違う。
きっと湊君は「産むな」と言うと思う。
それは責任逃れのためではなく、私のために。
私の将来のために。

でも、いくら湊君の意見でも、それは聞いてあげれない。
私は子供を産む。
湊君がダメだと言っても、産むんだ。

多分、湊君は分かってくれない。
どうしてそうまでして産みたいんだ、って思うだろう。
そしてこのまま付き合い続ければ、湊君はそんな疑問をもったまま、
なんとなく「父親」になってしまう。
それでも湊君は絶対に投げ出したりしないだろうから、
自分を押し殺してでも「父親」を務めようとするだろう。

それに、そうなれば私や湊君の意志とは関係なく、
湊君は退学させられる。

湊君には、本当に自分が進みたい道を進んで欲しい。
私がそうするように。

湊君の「自分が進みたい道」の先に、私と子供との暮らしがあるのなら、
その時にまた一緒になればいい。


湊君とは、別れよう。


別れる・・・湊君と別れる?
それって、もう2人で会ったりしないってこと?
キスしたり抱き合ったり・・・そういうことはしないってこと?


得意の理論的考察の結果は「湊君と別れる」だ。
でも、私の脳の別の部分がそれに激しい拒否反応を示す。

湊君と別れるなんて嫌だ!
私は湊君と一緒にいたい!
湊君だって、私といたいと思ってくれている!
私は湊君が好きなんだ!

・・・そう、私は湊君が好き。

自分がこんなにも誰かを好きになる日が来るなんて思わなかった。
その人の子供なら、自分の夢を捨ててでも産みたいと思うなんて・・・
むしろそれが新しい夢になるなんて。

こんなにも好きな人だからこそ、
湊君には幸せになってほしい。
自分がその邪魔をするなんて絶対に嫌だ。


私は、自分を落ち着けて、言い聞かせた。


湊君とは別れる。
湊君が好きだから。


辛いのは私より湊君だ。
私には子供がいる。
でも湊君はいきなり私に「別れてほしい」と言われるんだ。
いきなり1人になるんだ。

分かってくれるだろうか?
・・・無理だろうな。
湊君、私のこと大好きだから・・・


思わず勝手に赤くなる頬を両手で挟み、思考に戻る。


そうだ。
この子は湊君の子供じゃないって言おう。
信じてくれないだろうけど、そう言えば引き下がってくれると思う。

ごめんね、湊君。
勝手に色々決めて、嘘ついて・・・
でもきっといつか、これでよかったんだとお互い思える日が来ると思うから。
許してね。




「相手の男は誰だ?」
「どっかの誰か」
「亜希子!!!」

お父さんが再び声を荒げる。

「相手なんて誰でもいいの。この子は私のお腹の中にいるんだから、間違いなく私の子よ」
「亜希子・・・!子供なんて、大人になってから産めばいい!
今、留学のチャンスを逃したら、留学もMBA取得も一生無理になるかもしれないぞ!」
「100%無理になる訳じゃないでしょ。でも、この子は一度堕ろしてしまえば、
もう二度とこの世に生まれては来れないの。例え何年か後にまた私が妊娠したとしても、
それはこの子じゃない」

そう。そんな簡単で当たり前のことなんだ。

「勝手なのは百も承知だけど、1年間だけ子供と家にいさせて。
その後は、働くわ。出産の費用は少しずつ返す」
「働く!?今学校を辞めたら、お前は中卒だぞ!?働き口なんか、あるか!」
「駅前のスーパーでレジのバイトの募集してたわ」
「亜希子!」
「お父さん」

私はお父さんの前に正座した。

「お願い、お父さん。産ませて。迷惑はかけない・・・最初は少しかけるけど、
きちんと1人で育てるから」
「・・・」
「お願いします」

私が頭を下げると、お父さんはゆっくりとソファに座った。

「・・・後悔はないのか?」
「うん」
「いや、お前は分かってない。俺もろくに子育てなんかしてこなかったが、
子供を育てるには金と時間と強い気持ちがいる」
「・・・」

お父さんはため息をついた。

「お前がどれだけ頑張って働いても、レジのバイトで幾らの稼ぎになる?
子供に贅沢はもちろん、おもちゃの一つも充分に買ってやれないかもしれない。
子供というのはそれでもそれなりに育つが、
『どうして自分だけおもちゃを買ってもらえないんだろう?友達はみんな買って貰ってるのに』と、
辛い思いをする。
でも、子供にそんな思いをさせている親自身はもっと辛い」
「・・・」
「亜希子。お前はこれから母親になるつもりかもしれないが、
お前は父さんと母さんの子供でもある。
お前の子供が辛い思いをすると、お前はもっと辛くなる。
そうなれば、父さんと母さんはもっともっと辛いんだ」
「お父さん・・・」

お父さんからこんな話を聞くと思ってなかった私は、呆然とした。

私、1人で産んで育てようって思ってたけど、
そんなの私の思い上がりなんじゃないだろうか。
そもそも子供というのは1人で育てるものじゃないのかもしれない。
父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚の人、近所の人・・・
色んな人達と一緒に育てていくものなのかもしれない。


お父さんがまた1つ、ため息をつく。

「産みたいなら産めばいい。でも、1人で何とかしようと思うな。子供がかわいそうだ」
「・・・お父さん・・・」


「子供」がかわいそうだ


お父さんの言う「子供」は、私の子供のことであり・・・
私のことでもあるんだ。


やっぱりこの子は絶対に産もう、
そしていつかこの子にも今の話をしてあげよう、


私はいつの間にか、泣いていた。
 
 
 
  
 
 
 
 
 ↓ネット小説ランキングです。投票していただけると励みになります。 
 
banner 
 
 

inserted by FC2 system