第4部 第6話
 
 
 
「ピアス、取った方がいいですか?」
「一生大切にするって言ったくせに」
「言いましたけど」

それとこれとは話が別だ。
・・・男とは、かくも勝手な生き物なのか。

「ほ、ほら、俺、今日はスーツだし!スーツにピアスなんて、ホストみたいじゃないですか?」
「大丈夫よ。湊君、ホストなんてタイプじゃ全然ないから」
「・・・」

そう言い切られるのも微妙だ。
ホストっぽいと言われたい訳じゃないけど。

でも、先輩の親への挨拶にピアスはやっぱマズイだろ?
成田で一応スーツには着替えたけどさ。

それに今まで2年間、先輩と奏をほったらかしにしてたんだ。
殴られるくらいで済めば、御の字かもしれない。

俺は大きく深呼吸してから胸を張った。

「はぁ!よし、行きましょう!」
「心配しなくても平気よ」

今回ばかりは先輩の慰めも効果はない。

俺は清水の舞台から飛び降りるつもりで、
先輩のご両親が待つ、先輩の実家の玄関をくぐった。
・・・敷居が高いゼ。


ところが。


「亜希子はやる。どこにでも連れて行っていい」
「・・・え」

和室で緊張しまくって正座している俺に、
先輩のお父さんは事も無げにそう言った。

先輩が事前に事情を話しておいてくれたらしく、
先輩のお母さんは俺を歓迎してくれた。
お父さんもそれで俺を認めてくれた・・・のか?

いや、やっぱりそうではないらしい。
先輩のお父さんは
胡坐あぐらの上に奏をちょこんと乗せると、
クルッと身体を反転して俺に背を向けた。

「でも、奏だけはぜっっったいにやらん!!!」
「・・・」

どうやらかなり奏を可愛がってくれているらしい。
・・・いや、ありがたいんだけど、な。


困った俺と先輩と先輩のお母さんの3人は夜まで作戦会議を開き、
年に一度は日本に帰ってくるという約束をして、解決となった。

それでも、奏と別れなくてはいけないと決まった時、
先輩のお父さんは寂しそうに奏の頭をなでていた。
そして俺まで、先輩を貰うことより奏を連れて行くことの方が申し訳なく感じてきて、
いつの間にやら奏を含めて男3人、
酒やらジュースやらお菓子をつまみながら人生ゲームをやっていた。
(懐かし過ぎる・・・)

先輩のお父さんは息子が欲しかったらしく、
孫が男の子で相当喜んでいたようだ。
そして、なんだかんだ言って俺という義息子ができることも喜んでくれた。

先輩1人が「私はどうでもいいの!?」と怒っていたけど・・・
覚悟していた割りには、小倉家訪問は穏やかに幕を閉じたのだった。


ところが、ところが。



バシッ!!!!

俺は左頬を押さえて呆然とした。

え?なんだ、今の?


先輩の実家を訪れた翌日、
今度は俺の愛知の実家へ先輩と奏と共にやってきた。

俺としては、小倉家訪問が無事に済んで一気に気が楽になり、
普通に実家に帰省するくらいの気持ちだったのだが・・・

親に事情を説明するや否や、平手打ちが飛んできた。
それも母親から。

小さい頃、父さんから殴られたことは何度もあるけど、
母さんに殴られたのは初めてかもしれない。

頬の痛みより、母さんに殴られたことがショックで、
俺は呆然としたのだ。

「湊!!あんたって子は・・・!!!
恋人を妊娠させておきながら、知らんぷりしてアメリカに行ってたの!?
子供の顔も見ず、連絡も取らず!?」
「・・・」
「し、信じられない・・・!あんたがそんな子だったなんて・・・」

そして母さんは床に突っ伏し泣き出した。

俺は母さんが泣くのも初めて見た。
もう、何もかも初めて過ぎて、頭がついていかない。


母さんは、泣きながら先輩に頭を下げた。

「亜希子さんと奏君、でしたっけ?ごめんなさい・・・うちの息子が馬鹿なことを・・・」

先輩も俺同様、呆然としていたけど、慌てて母さんの前に座った。

「あ、あの!とんでもありません!2年前、私は湊く、湊さんに、
『妊娠したけどあなたの子じゃない』って言ったんです。だから・・・」
「湊!自分の子供かそうじゃないかくらい、分かるでしょ!?」

母さんが涙に暮れたまま俺を睨む。
そのあまりの剣幕に、俺はコクコクと頷いた。

「分かってて、亜希子さんをほうっておいたの!?」
「・・・う、ん・・・」
「!!!」

母さんはまた号泣した。

自分のしたことで母親を泣かせてしまうというのは、予想以上にショックで・・・
情けないことに俺は何もできず、泣く母さんをただ見ていた。
先輩もどうしていいか分からず、母さんの前で座り込んだままだ。

父さんだけが、母さんの背中をさすりながら「落ち着け」と言っている。


そして母さんがようやく落ち着いたのは30分近く経った頃だった。

「亜希子さん・・・本当にごめんなさい。2年間、辛かったでしょう?」
「いえ・・・大丈夫です」

先輩が困ったように微笑む。
俺もやっと自分を取り戻してきた。

「母さん、黙っててごめん。先輩が大変だったのは分かってるからさ。俺、これから頑張るよ」

だけど母さんは首を横に振った。

「湊、あんたは亜希子さんがどれだけ大変だったか、分かってないわ」
「分かってるよ」
「いいえ、分かってない。あのね、お金とかはもちろん大変だったと思う。
でも、本当に大変なのはそんなことじゃないのよ」

母さんは俺の目を見て言った。

「父親と遊ぶ友達を羨ましそうに見る奏君の小さな後姿や、スーパーで買い物している親子3人。
そういう何気ない、だけど毎日あちこちに溢れている光景を見るたびに、
亜希子さんは胸を痛めてきたのよ?」
「・・・」

俺が黙りこくると、先輩が慌てて言った。

「そんなこと、ないです!」
「本当に?」
「・・・はい」
「それは、亜希子さんもその痛みに慣れて痛いとすら思わなくなっているからよ。
つまりそれだけ、亜希子さんにとって痛みが日常化している証拠。
湊は亜希子さんにそんな毎日を送らせてしまっていたのよ。奏君にもね」

母さんの言葉には重みがあった。
聞いていると、胸が、喉が、いや、全身が痛くなってくる。

先輩もそうなのか、いつの間にか目に涙を浮かべていた。

つまり・・・母さんの言うとおり、
先輩は自分でも分からなくなるくらい、辛い日常に慣れてしまっているのだ。

きっとのその痛みは激痛ではなくじわじわした痛みで、
「痛いかもしれない」と思わない限り自分でも気付かない。
先輩はそんな痛みを2年間貯め続けてきたんだ。

そしてそれは・・・他でもない俺のせいなんだ。
俺は好きな人に、そんな思いをさせていたんだ。

分かっていたことなのに、
俺はちゃんとそれと向き合わなかった。

先輩と結婚できる幸せや、奏と会えた嬉しさだけを見て、
見たくないものを・・・本当に見ないといけないものを、見ようとしなかった。


「先輩・・・ごめんなさい。俺・・・」

もっと言わなきゃいけないことがあるはずなのに、言葉が出てこない。
何を言っていいか分からない。

俺、2年間、勉強は頑張ってきたけど、
本当に大事なことは、何一つできるようになってないじゃないか・・・

だけど、そんな情けない俺に先輩は「ううん」と言って笑顔をくれた。
そして、右手を差し出した。

「これからよろしくね、湊君」

・・・俺は、この手を握っていいんだろうか。
そんな資格、あるんだろうか。

だけど、迷う必要はなかった。

突然奏が、無邪気な笑顔で俺と先輩の間に割って入り、
左手で先輩の右手を、
右手で俺の左手を握ったのだ。

いつも温かい奏の手だけど、
今日の温かさは特別だ。


父さんが、「子は
かすがい、とはよく言ったものだな」と言って笑った。
  
 
 
 
*次回、最終話です
 
 
 
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