第1部 第5話
 
 
 
この世の終わり、とばかりに暗い表情でフラフラしながら柵木君が学食に入って来た。
手にはいつも通り、うどんを乗せたお盆がある。

私は笑いを必死に堪え、柵木君に気付かない振りをして黙々と食事を続けた。

「・・・こんばんわ、先輩・・・」
「こんばん『は』よ、柵木君。バイト、お疲れ様」
「はあ。先輩もお疲れ様です」

柵木君は暗い表情のまま、これもいつも通り、私の前の席に座る。

ああ。おもしろい。
でも、かわいそうだから、そろそろ・・・

「はい、コレあげる」

私はそう言って、柵木君のお盆の上にシュークリームを置いた。
1個50円のシュークリーム。
前は、食べたいなんて微塵も思わなかったけど、
今はちょっと見直した。
だって・・・

「え?」
「最後の一つだったから、取っといたの。他の生徒が買っちゃうかもしれないし」

地獄から天国!とばかりに、急に柵木君の顔がパアアと明るくなる。
・・・シュークリーム一個でここまで幸せになれるとは。
ほんと、子供みたい。
それとも実はこのシュークリーム、見た目に反してタダモノじゃない、とか?

「ありがとうございます!俺、毎日これ食べないと、パワーでないんですよね!」
「ふふふ、うん、知ってる」

柵木君の元気の源だもんね。

「あ、金払います」
「いいよ、50円だし」
「ホントですか!?やったー!ありがとうございます!」



毎週金曜の夜10時。
この日のこの時間帯は、いつも学食に私と柵木君しかいない。
だから初めて一緒に夕ご飯を食べて以来、
なんとなく金曜日は「柵木君と一緒に夕ご飯を食べる日」になった。

もし柵木君が見た目通り軽い人間なら、例え2人きりでもしゃべったりしないだろうけど。

「って、金曜のこの時間は、俺と先輩以外誰も学食来ないじゃないですか」
「うん」
「・・・俺をガッカリさせて、楽しんでますね?」
「そんなことないわよ」

そう言いながらも、思わず笑ってしまう。
確かにそういう気持ちもある。
というか、そういう気持ちの方が大きい。

柵木君は、とにかく喜怒哀楽を全身で表現する子で、見ていて飽きない。
素直と言うか、子供というか。
私のとっては未知の生物だ。


柵木君は元気に「いただきます!」というと、
デザートのシュークリームを目指すかのように、凄いスピードでうどんを食べ始めた。

「相変わらずの食欲ねえ。うどんだけで足りる?柵木君」
「んぐ。先輩、前から言おうと思ってたんですけど」

柵木君がうどんから目だけ上げる。

「俺のこと、柵木君って言うの、やめてください」
「え?どうして?」

柵木君は急いで口の中のうどんを飲み込むと、
右手の人差し指と、左手の人差し指を立てた。

「あ、こっちが先輩です」

そう言って、右手の人差し指を軽く曲げたり伸ばしたりする。

「んで、こっちが、先輩の友達のA子さん」

今度は左手の人差し指を曲げ伸ばしする。

「A子さんって、私みたいね。私、亜希子って言うから」
「あ、じゃあB子さんにします」
「あはは。うんうん、それで?」

柵木君は真面目腐った顔で、説明を始めた。

「先輩が、俺のことをB子さんの前で『柵木くーん』って呼ぶとします」

右手の人差し指を軽く動かしながら、私の口真似をする。
本当に右手の人差し指がしゃべってるみたい。

「うんうん」
「で、それを聞いていたB子さん、『あのピアスの派手な男の子、マセギ君っていうんだ』と思います」
「ふふ」
「『ねえ、君、海光のくせに派手だねー。マセギ君って言うの?変わった名前ね。どんな漢字なの?』」

今度は左手の人差し指を動かす。

「あはは」
「で、俺が『はい、マセギって言います。さくと木で、柵木ませぎ、です』って答えます」
「うんうん」
「『サクと木でマセギ、なんだー。あ、サクってどんな漢字だっけ?』
『えっと、木へんにさつです』
『サツ?』
『本を数える時の1冊、2冊、の冊、です』
『サツ・・・うーん、わかんない』
『えーっと、縦棒引いて、カクカクって線引いて、中に縦線2本引いて、真ん中に長い横線を一本・・・』
『えー?難しいー』、
ってな会話が延々と続くんですよ」

私は思わず口の中のチャーハンを噴出しそうになった。

「あはははは、何それ・・・あははは」
「笑いますけど!俺、既に何回も経験済みなんですよ?B子さんは海光の生徒じゃないですけどね」
「し、信じられない・・・あははは」
「ねえ?さつくらい、知ってろって感じですよね。その前にさくを知ってて欲しいですけど」
「あははは」

柵木君は、いつもこんな感じだ。
お腹が痛くて仕様がない。

「じゃあ、何て呼べばいいの?」
みなとでいいです」
「えー・・・私、人を呼び捨てするの、好きじゃないの。じゃあ、湊君でいい?」
「はい!」

柵木君・・・じゃなかった、湊君は嬉しそうに頷くと、
再びうどんを食べ始めた。

誰に対しても、裏表がないというか、屈託がないというか。

思わずこっちまで素直になってしまう。

でも、湊君はそれでいて「じゃあ俺も先輩のこと亜希子さんって呼んでいいですか?」とは言わない。
そう言われると私が困るのをわかっているからだろう。

別に「亜希子さん」って呼ばれるのが嫌なんじゃない。
「亜希子さんって呼んでいいですか?」って聞かれて「うん」と答えるのが嫌なのだ。

湊君はそういう気遣いのできる子だ。


「だけど、『湊』君でも漢字の説明難しくない?」
「さんずい、に、かなでって説明します」
「奏の説明も必要になるよ」
「ふふふ、甘いですね、先輩」

何故か不敵な笑みを浮かべる湊君。

「『かなで』って有名な曲があるんです。
だから今時の若い子達は、奏って漢字は知ってます」
「今時の若い子達って・・・あはは」

「奏」かあ。
綺麗なタイトル。

どんな曲なんだろう。


一度聞いてみたいな・・・
 
 
 
  
 
 
 
 
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