第1部 第15話
 
 
 
「もー!人騒がせなんだから、お兄ちゃんは!」
「・・・悪かったよ」

間宮さんのマンションから駅までの道。
私は散々お兄ちゃんをなじった。

「ヒナちゃんが浮気なんてするはずないのに!」
「舞だって、もしやと思ってただろ」
「思ってないしー」
「嘘つけ」

相変わらず口の悪いお兄ちゃんだけど、
その顔中には安堵の色が広がっている。

私も心底安心した。

よかった。
2人が別れたりしたらどうしようかと思った。

「ビックリさせてごめんね、ヒナちゃん」

私は少し後ろを1人で歩くヒナちゃんを振り返った。
ヒナちゃんは唇をキュッと閉じ、地面を見つめたまま歩いている。

「ヒナちゃん?」
「ヒナ?」

私とお兄ちゃんが同時に呼ぶと、ヒナちゃんはゆっくりと顔を上げた。
その目は真っ直ぐにお兄ちゃんの目を見ている。

「ひどいよ、三浦君」
「ヒナ・・・」
「どうして私のこと信じてくれないの?しかも、間宮さんのおうちまでついてきて。
保育園の先生の関係者がこんなことしたら、保育園の信用まで落ちちゃうよ」
「・・・」
「間宮さんは、うちの保育園で何年もアルバイトしている女の子の紹介で、
うちの保育園にお子さんを預けようかって検討してくれてるの。
もし今回のことで、間宮さんがお子さんをうちに預けるのをやめたりしたら、
そのアルバイトの女の子にも申し訳ないよ」

ヒナちゃんは目にいっぱい涙を溜めたままそれを拭おうともせず、
足早に駅の中へと入って行ってしまった。





それからの数日間。
お兄ちゃんの落ち込みようはひどかった。

かろうじて大学には通っていたけど、ろくに食事もせず、ぼーっとしている。
ヒナちゃんと連絡を取っている様子もない。

私も責任を感じていた。
もし、私が最初にもっと強く「絶対浮気なんてありえない」と言っていれば、
もし、私が強引にお兄ちゃんを保育園に連れて行ったりしていなければ、
こんなことにならなかったかもしれない。

そう思うと、胸が痛んだ。


「お兄ちゃん」
「ん?舞か」

お兄ちゃんの部屋に入ると、お兄ちゃんが机から顔を上げた。

「勉強してたの?」
「ああ」

でも、あんまりはかどってる感じじゃない。
当然だよね。

「・・・ねえ、ヒナちゃんと別れたりしないよね?」
「ええ?」

お兄ちゃんが自嘲気味に笑う。

「別れるも何も。ヒナが許してくれないことにはどうしようもない」
「そうだけど・・・」

いつもなら、お兄ちゃんが怒ってヒナちゃんが謝るってパターンなのに、
今回は逆だから、お互いどうしていいのか分からないのかもしれない。

「謝れば、許してくれるよ」
「そういう問題じゃないんだ」
「え?」

お兄ちゃんはため息をついた。

「俺、ヒナは俺と一緒にいられさえすれば、幸せなんだって思ってた」
「・・・そうでしょ」
「そうじゃない」

もう一つため息をつく。

「もしヒナが仕事で遠くに行かなきゃいけなくなったらヒナは行きたがらないに決まってる、
そう思ってた。俺も行かせないだろうし。
でも、ヒナは自分でやりたい仕事見つけて、ちゃんとそれをやってるんだ。
ただ俺と一緒にいることだけがヒナの幸せじゃない。
それなのに俺・・・ヒナのこと、ちゃんと考えてなかった」
「お兄ちゃん・・・」
「ヒナは、俺が勉強や試験で会えなくても、てゆーか、飲み会で会えなくても、文句も言わないんだ。
でも俺は、ヒナに『友達と会うから、今日は会えない』って言われただけでもすぐ不機嫌になってた。
こんなんじゃダメだよな・・・愛想尽かされても仕方ない」


慰めてあげたかったけど、何も言えなかった。
だって、お兄ちゃんの言ってることはもっともだ。
反論のしようがない。
私がヒナちゃんの立場なら、やっぱりお兄ちゃんに愛想を尽かしてただろう。

だから口先だけでも「そんなことないよ」とは言えなかった。


でも、私はまだ望みは捨てていない。
ヒナちゃんは私とは違う。
私が持っていない何かを持っている。
だから、もしかしたら、まだお兄ちゃんのことを好きかも知れない。


私は、藁にもすがる思いで家を飛び出し、
ヒナちゃんの保育園へ向かった。
 
 
  
 
 
 
 
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