第3部 第12話
 
 
 
「梅昆布茶」
「・・・ここはファミレスじゃないんだぞ」

先生はそう言いながら、放課後、職員室に遊びに来た私に梅昆布茶を出してくれた。
相変わらず、美味しい。

「なんだ?勉強の質問か?」
「まさか」
「・・・。そう言えば三浦、まだ夏休みの宿題が出てないぞ」
「そんなのありましたっけ?」
「お前の周りには三浦兄とか森田がいるのに、なんでそんなに勉強がはかどらないんだ」
「本人のやる気の問題」
「その通りだ、バカヤロウ」

私は梅昆布茶が入った紙コップを口につけながら、目だけ先生に向ける。

心なしか、疲れているようだ。

「・・・先生」
「ん?」
「何か仕事してていいですよ。私、ここで勝手にお茶飲んでますから」
「お前は、ここをなんだと思ってるんだ」
「梅昆布茶カフェ」
「・・・」

先生は、もう何も言うまいと決めたのか、仕事を始めた。

今度は目を、職員室の入り口に向けてみる。
そこには、こちらの様子を伺っている市川さんが1人、立っていた。

さっき、市川さんが数学の教科書を抱えて教室を出て行ったから、
私は鞄を掴んで猛ダッシュ、とまではいかないまでも、大急ぎで先生のところへやってきた。

先回り成功だ。


市川さんは、それでもここまで来ようかどうか、職員室の前で悩んでいるようだったけど、
私が中々立ち去りそうにないと諦めたのか、ようやく戻って行った。

でも、まだ教室で機会を伺ってるかもしれない。

職員室の窓からは校門が見えるから、市川さんが下校するのを見届けるまで、
ここで静かに粘ろう。

私はゆっくりと梅昆布茶を飲んだ。

「三浦」
「はい」
「ありがとな」
「・・・気づいてたんですか」
「ああ」

先生は机から顔を上げると、誰もいなくなった職員室の入り口を見て、ため息をついた。

「モテるってのも楽じゃありませんね」
「そうだな」

先生は謙遜しなかった。
でも自慢してる訳でもない。
今の先生にはモテることが、本当に「楽じゃない」のだ。


始業式の日以来、私は市川さんを気をつけて見ていた。
市川さんは、教師と関わりを持ちたがらないタイプの生徒であるにもかかわらず、
以前から本城先生とだけはよく話していたし、職員室へ質問なんかにも行っていた。

前まで、私はそれは単に本城先生が話しやすい先生だし担任だからだと思ってた。

でも、そうじゃないみたいだ。


ここ数日、市川さんの先生に対する態度は目に余る。
と言っても、先生に明らかに失礼な態度を取っている、とかではない。
職員室へ質問へ行くという生徒としては当たり前の行動を取っているだけだ。

ただし、頻繁に。

ううん、頻繁どころじゃない。
だから先生も困っている。

とにかく普通の休み時間にしろ、お昼休みにしろ、放課後にしろ、
時間さえあれば、市川さんは本城先生のところへ質問へ行く。
おかげで、先生は自分の仕事が全くできず、
毎日毎日、市川さんが下校してから随分遅くまで残業しているようだ。

だけど先生も、生徒に「質問があるんです」と言われれば拒むわけにいかない。
本当に先生に用事がある他の生徒もいるから、職員室から逃げるわけにもいかない。

しかも市川さんは頭が良く、いや、ずるがしこく、他の先生や生徒の目につかないように、
こういうことをやってるのだ。

早い話が、ストーカーである。

先生の結婚に嫉妬してのことだろう。


「もっとズバッと『やめてくれ』とか、せめて『もっとまとめて質問に来い』とか言ったらどうですか?」
「お前みたいに何の下心もなく仕事の邪魔しに来る生徒になら言えるけどな。
ああいう生徒には、そうハッキリと言えないんだ」
「どうして?」
「市川みたいな奴は初めてじゃない。昔、『付き合ってくれないなら自殺する』とか言ってきた生徒もいる」
「・・・」
「俺があんまりきついこと言って、何か取り返しのつかないようなことになったら大変だからな」

「楽じゃない」どころの騒ぎじゃないようだ。
先生は「でも、」と言った。

「ちょっと市川はやりすぎだな・・・学校内だけならともかく」
「え?学校の外でも?」
「ああ。最近、家の周りでも視線を感じる。どこかに隠れてるのか、姿は見えないけど」

こ、怖すぎる!!!
正真正銘犯罪だ!!!

「最初は俺の気のせいかと思ったんだけど、月島も『なんだか駅からつけられてる気がする』って、
言ってた」
「先生!警察に話した方がいいですよ!」
「そんなことできる訳ないだろ。市川は俺の生徒だ。月島も、
『これくらいのことは覚悟してたから平気です』って言ってくれてるし、市川の気が済むまでほっとくよ」

その前に先生の体力の限界が来そうだ。
それに、万が一ってこともある。

そうだ!

「先生、邪魔。もう少し右に寄ってください」
「は?」

私は先生の椅子を強引に右に押しやり、別の椅子を先生の横に押し込んだ。
そして、鞄から夏休みの宿題を取り出し、先生の机の端っこに置く。
数学・英語・生物、選びたい放題だ。

「なんだ?」
「私、これから毎日放課後ここで夏休みの宿題をします」

市川さん除けだ。
黙っていれば、先生の邪魔にはならないだろう。
先生も、私が横にいちゃあんまり集中できないかもしれないけど、
市川さんより遥かにマシだと思う。

「・・・三浦、ありがとう。でも、どんだけ宿題が残ってるんだ、お前」
「まーまー。このストックがある限り、先生は市川さんから逃げられるんだから!
ゆっくりやります。数学は一番最後でもいいでしょ?」
「・・・仕方ないな。でもサボるなよ」
「はーい。ちゃんとやりますって!」


私は、のんびりと英語の教科書を開き、勉強の準備を始めた。
 
 
  
 
 
 
 
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