第2部 第19話
 
 
 
「保育士の資格なんて取ってどうするんだ?」
「保育士になるのよ、もちろん」

もちろん、じゃない。
お姉ちゃんは寺脇家の長女だ。
お姉ちゃんの仕事は、家を継げるお婿さんをもらって、
その人と一緒に寺脇コンツェルンを支えることだ。
そんなことはお姉ちゃんも分かってる。

お姉ちゃんは背筋を伸ばした。

「私、今保育園でアルバイトしてるけど、
保育士の資格がないとやれることはどうしても限られてくるの。
だからちゃんと保育士の資格を取って働きたいの」
「働いて・・・どうするんだ?どうなるというんだ?」

パパは怒ってる訳じゃない。
純粋に不思議がっている。

「どうもならないわ。保育園で働きたい、それだけよ」
「ナツミ。寺脇家の主人の妻というのは、それだけで大変なものだ。
主婦としての教養も必要だし、社長夫人連中をまとめないといけない。
明日のパーティでも、ママが大変なのは知ってるだろう?」

明日のパーティ・・・
寺脇コンツェルン内の会社の重役とその家族を招いて行う忘年会兼慰労会だ。
毎年この時期にパパが開催していて、
ママもお姉ちゃんも私も参加する。
今年からはノエルさんも参加するはずだ。

そして、その席でママは社長夫人達に挨拶して回り、ご機嫌伺いをする。
これが、ただ「こんにちは」「ご機嫌よう」だけでは済まない。
パパが仕事上の報告だけでは把握しきれない、
社長さん達の体調や最近の動向、更には家の経済状況なんかを、
主婦同士の会話を通してさりげなく聞きだすのだ。
そして、気になることがあれば、後でパパに報告する。
数年前には、ママがある会社社長の家が借金で苦しんでいることをつきとめ、
パパが救済したこともある。

ママは明日のパーティだけではなく普段からも、
主婦のネットワークを活かしてそういう情報収集に努めなくてはいけないのだ。
この前のモルディブ旅行もその一環だ。


だけどお姉ちゃんは折れない。

「一生働く訳じゃないわ。ノエル君がパパの跡を継ぐまで・・・
ううん、ノエル君がアメリカから帰ってくるまででいい」
「ナツミ」
「その後は、ちゃんと寺脇コンツェルンのために働くわ」
「・・・」

パパは黙って腕を組み、
ママは困ったように首を傾げた。
そして私は・・・驚いた。

お姉ちゃんが保育士に憧れているのは、
あのパンフレットを見た時から分かっていた。
でも、ノエルさんと一緒にアメリカへ行くか保育士になるか、
そんなこと、比べるまでもないと思ってた。

お姉ちゃん・・・本気で保育士として働きたいんだ。

私、今まで「働きたい」なんて思ったことがない。
寺脇家の人間としての自分以外なんて、想像できない。

でもお姉ちゃんは、「寺脇家の寺脇ナツミ」ではなく、
「保育士の寺脇ナツミ」として、働きたいんだ・・・


パパはため息をついた。

「ノエル君は?君はそれでいいのかい?」
「はい。僕は自分のやりたいことをやるのに、ナツミさんにだけ我慢を強いることはできません」
「・・・」
「それに、」

ノエルさんはお姉ちゃんの方を見た。

「ナツミさんは、保育園で仕事をしてる時すごく楽しそうなんです。
本当はずっと保育園で働きたいんだと思います」

お姉ちゃんもノエルさんを見る。

「ナツミの人生なんだから、ナツミがしたいようにすればいいよ。
俺が帰ってきても、続けたいなら続ければいい。できるだけ協力するから」
「ノエル君・・・」

パパが2人を見て、やれやれ、という感じで苦笑した。
私も「やれやれ」だ。
勝手にやっててちょうだい。

「すまないね、ノエル君。婿にきてもらうのに、勝手なことばかり言って」
「いえ、全然構いません。でも、代わりに一つお願い、というか、ご報告があるんです」
「なんだね?」
「アメリカへ行くのが早まりそうなんです。年明けすぐに柵木湊さんと一緒にアメリカへ行きます。
・・・一緒に行きたくないけど」
「え?何それ!?」

パパより早くお姉ちゃんが反応する。
お姉ちゃんも知らなかったらしい。

「昨日、帰国中の湊さんに『アメリカへは1人で行くことになった』って言ったら、
『いきなりアメリカで1人で生活しながら仕事をして、しかも大学受験するのは大変だぞ。
それに月島は英語苦手だろ』って脅されて・・・」

英語が苦手なのか。
そんなんでよくジュークスに就職しようなんて思えたな。

「海光の高3の3学期は授業がないんです。
だから1月から3月までの3ヶ月間、アメリカの湊さんの家でお世話になりながら、
アメリカ生活と英会話を勉強します。
卒業式があるので3月に一度日本に戻ってきますけど、
またすぐアメリカへ行って、4月から1人暮らししながら働きます」

パパが大きく頷いた。

「なるほど。確かに柵木君の言う通りだ。
初めての土地で、しかも海外だと、買い物する場所も仕方もわからないからな。
働き始める前に、海外生活に慣れていおいた方がいい」

さすが柵木さん!
と、思ったら。

「はあ。『家に置いてやる代わりに、家事はしろよな』って言われましたけど。
湊さんの奥さん、妊娠してるんでこのまま日本に残るそうなんですよね・・・」

さては柵木さん、ノエルさんをお手伝いさん代わりにしようとしてるな?
しかもタダで。

やっぱり、さすがだ。


こうして、「ひどい!聞いてない!」と喚くお姉ちゃんはさて置き、
ノエルさんの渡米が正式に決定した。
入籍は、養子縁組の関係があるので3月にノエルさんが帰国した時にすることになり、
結婚式はやっぱりなし、というか、ノエルさんが日本にいないからできない。


なんか・・・漠然と遠くにあった物が、急に目の前に迫ってきた感じだ。

お姉ちゃんとノエルさんが結婚する。
そしてノエルさんは1人でアメリカへ行く。

そして私は・・・私は・・・何も変わらないか。
そりゃそうだ。


パパが思いついたように、急に私に声をかけた。

「そうだ、ナツミ。明日のパーティ、師匠君も呼んでおきなさい」
「・・・」

私にも、何か変化が訪れるかもしれない。
 
 
 
  
 
 
 
 
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