第3部 第23話
 
 
 
師匠の悪いところ。
見栄っ張り、意地悪、所構わず押し倒す。
こんなところかな。

じゃあ、伴野聖の悪いところ。
馬鹿、冷たい、女ったらし、自信家、すねかじり、酷いこと平気でやる。
他にもまだある。
劇団でちょっと人気あるからっていい気になってるし、
人を平気でトラブルに巻き込むし・・・ってこれは私もか。

とにかく、
師匠と伴野聖、どっちがいいかなんて比べるまでもない。

私は師匠といた方が絶対幸せになれる。
あんな馬鹿のことはさっさと記憶から抹消するに限るわ。

それならまず、携帯を消去しないとね。

えーっと、そうだ、まだ「月島さん」のままだった。
「つ」「き」「し」「ま」と・・・。
よし、これだ。
「サブメニュー」を押して、「削除」を押して、「1件削除」、と。

「削除してよろしいですか」?
わざわざ聞かないでよ。いいって言ってるんだから。
「はい」、と。

ほら。
簡単じゃない。
もう消えちゃったわよ?
これでよし。

私は携帯をベッドの上に放り投げた。

これで完璧よね?
これで私の携帯から伴野聖は消えたわ。

「・・・」

何よ?文句ある?

・・・わかってるわよ。
ちょっと忘れてただけよ。

私は携帯をもう一度取り上げ、着信履歴を見た。
さっきまで「月島さん」と表示されていた場所に「080」で始まる番号が表示されている。

発信履歴やメールには、「月島さん」の履歴は残っていない。
つまり、この着信履歴を消してしまえば、
本当に完全に私の携帯から伴野聖が消える。

ノープロブレム、ノープロブレム。
どうせ私から連絡なんてしないんだし。

私は音程の外れた曲をハミングしながら着信履歴を全て消去した。

ところが無意識のうちに、頭の中に「080〜」と11桁の数字が並ぶ。
って、私、何未練がましく携帯番号暗記してるのよ。

違う違う。
今は見たばっかりだからちょっと覚えてるだけよ。
こんなのすぐに忘れるわ。

そう、どうせわたしから連絡なんて・・・

で、でも。
もし伴野聖の方が私に用があれば、
電話してくるかもしれない。
まあその時は出てやってもいいかな。
着信履歴はすぐに消すけど。


・・・わかってる。
そんなことはもう二度とない。
あれだけ酷いことを言ったのだから。

そもそも、そのために言ったのだから。

じゃあ、
自分で決めてそうした癖に、私は何をこんなに落ち込んでいるんだろう。


不意に私の手の中で携帯が震えた。
一瞬、伴野聖からかと思ったけど、もちろんそんなことある訳ない。

非通知だ。

私は「嬉しいことじゃない!」と自分に言い聞かせ、
だけど内心少しがっかりしながら電話に出た。

「・・・師匠?」
「今、いい?」
「うん、さっきはごめんね、出れなくて。電車に乗ってて・・・」

言いながら胸が痛んだ。

私、師匠を裏切ろうとしたばかりでなく、嘘までついて・・・

ううん。
私はもう師匠を裏切ったんだ。
浮気って「気が浮つく」と書いて「浮気」だ。
特に何か行動を起こさなくても、
私は充分に「浮気」したんだ。

師匠が一番嫌う浮気を。

「・・・ごめんなさい」
「あはは。電話に出れなかったくらいで、何、深刻に謝ってるんだよ?」
「・・・」


家の電話を使ってるってこともあるだろうけど、
師匠は用もなくダラダラと長電話するのが好きじゃない。
でも、私は好きだから、たまに用が無くても電話してきてくれる。

今日もそうだ。

師匠は特に話さなきゃいけないことはないようで、
世間話をしている。
私もいつも通り受け答えする。

いつもはとても楽しい時間のはずなのに・・・

今日ばかりは胸が痛すぎて苦痛だ。

「どうした?なんか元気ないな?」

師匠はまだ何も気付いていないようだ。
だったら、「うん。体調良くないの」とでも言って、電話を切ってしまった方がいい。
このまま話し続ければ、何か感づくかもしれない。

でも、私の口から出てきたのは、
気持ちとは正反対の言葉だった。

「・・・会いたい」

耳元で、いつもなら心地よい笑い声が聞こえる。

「昨日会ったとこじゃん」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど」

何言ってるの、私。
会ったらますます師匠に気付かれる可能性、高くなるのに。

だけど今どうしても師匠に会いたい。
そうすれば、やっぱりさっきの伴野聖に対する気持ちは錯覚だったんだって、
気付けるかもしれない。
気付けなかったとしても、忘れられるかもしれない。


私が「うちに来て」と言うと、
師匠は「今からー?」とわざとらしい不満気な声を出しつつも、行くと言ってくれた。

彼女からの突然の呼び出しにも快く応じてくれるなんて、
ほんと、なんていい彼氏なんだろう。
伴野聖だったら絶対「面倒くさいから嫌だ」とか言うだろうに。


それなのに、私ときたら・・・


大丈夫。
師匠に会えば、伴野聖のことなんて一瞬で忘れるに決まってる。

私は自分にそう言い聞かせつつも、
心のどこかで、「ううん。きっと忘れられない」と思っている。

だって、心にはまった積み木は、本当にぴったりとそこに収まっていて、
押しても引いても微動だにしそうにない。

師匠への気持ちは変わっていない。
昨日の私から師匠への気持ちを100とするならば、今も100だ。

昨日まで−1000だった伴野聖への気持ちが、
いきなり+1000になっただけだ。


でも、この1000が本当に厄介だ。
これをゼロに・・・せめて100未満にする方法があるのなら、
誰でもいいから教えて欲しい。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
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