第3部 第27話
 
 
伴野聖がようやく足を止めたのはそれから約10分後のこと、
木でできた扉の前だった。

「ようやく足を止めた」と言うのは本当で、
伴野聖のマンションからここまでノンストップだった。

理由は、
赤信号に引っかからなかったから。
そして、このアパートにはオートロックなんて代物はなく、
部屋の扉のまん前まで直接来ることができたから。

「・・・凄いアパートね」
「正直にボロいって言えば?」
「・・・」

伴野聖は扉をノックするのかと思いきや、
ポケットから鍵を取り出しドアノブにあてがった。

カチリと音がして鍵が開く。

「ちょっと!勝手に入っていいの?」
「当たり前だろ。俺んちなんだから」
「え?」
「ほら、入れよ」

伴野聖に促され、私はその部屋の中に入った。

見事なほど小さな正方形の玄関で靴を脱ぐと、
そこからその正方形の一辺と同じ幅の廊下が2メートルほど続いていた。
その右側にキッチン(というか、台所)、左側に扉が二つ。
トイレとお風呂らしい。
でも、どう考えてもお風呂は脱衣所なしで扉を開くと即お風呂場って感じだ。

台所はいかにも昔の作りらしく、広いシンクに二口のガスコンロ。
使い勝手は良さそうだけど、誰かが料理してる時はこの廊下は通行止めになるだろう。

あ、でも、伴野聖の1人暮らしの家なら、
誰かが料理してる時に別の誰かが廊下を歩くってことはないか。

って、え?

ここが伴野聖の家?本当に?

「さっきのマンションは?」

前を歩く伴野聖の背中に尋ねる。

「今日引っ越した。今、マンションの管理人に鍵を渡しに行ってたんだ。
お前、運がいいな。もう少し遅かったら、いくらあそこで俺を待ってても会えなかったぞ」
「・・・そうなんだ」

伴野聖が廊下の突き当たりの引き戸を引くと、
正真正銘の6畳一間が現れた。
畳部屋だから、きっかり6畳なのがすぐに分かる。

6畳って・・・狭いな。
特に今は、ダンボールや衣装ケース、電化製品が散乱しているから余計だ。

「今からダンボール開いて部屋片付けるから手伝え」
「は?」

よく見ると、部屋の中の物にはどれも見覚えがあった。
伴野聖のマンションにあった物だ。

どうやら本当に引っ越してきたらしい。

「どうして私があんたの手伝いなんかしなきゃいけないのよ」
「俺に散々無礼なこと言ったお詫び。ほら、お前は台所担当な。
女だろ、一応」
「・・・」

イヤ、と言って帰ってしまえばいい。
でも、できない。

部屋の片づけを手伝うという理由があれば、
私はここにいれるから。

私は「分かったわよ!」と半分自分自身に怒りながら、
伴野聖に渡されたダンボールを手に廊下の台所へと戻り、
台所と睨めっこを始めた。


・・・で、5分経過。


私の家自体、随分昔に建てられたものだからキッチンも古い。
でもこの台所の「古い」とは種類が違う。

だから、よ。
だから、どこに何をしまっていいか、よく分からないのよ。

私は台所の棚を開けたり閉めたりした。

「・・・お前、普段全然台所に立たないんだろ?」

呆れた声が部屋の方からした。

廊下にしゃがんだまま顔だけ声の方に向けてみると、
伴野聖が右肩で土壁にもたれ、腕を組んで私を見ていた。

「そんなことないわよ。前のバレンタイン、チョコレート作ったんだから」
「その前に台所に立ったのは?」
「去年のバレンタイン」
「・・・。食器類と鍋は全部シンクの下の棚に入れとけ。
吊り戸棚は使わなくていい。出し入れするのが面倒くさいから」
「吊り戸棚?」

伴野聖が腕を組んだまま左手の人差し指で私の頭上を差す。

指の先を見てみると、シンクの上の天井に戸棚がくっついてる。
なるほど。これが吊り戸棚、ね。

「ヤカンはガスコンロの上に置いとけ。よく使うから」
「わかった。よく使うって、お茶でも淹れるの?」
「カップメン」
「食事に気を使ってるんじゃないの?」
「どうしても腹が減った時に、春雨のカップメン食ってる」
「・・・」

思いの他、質素な暮らしをしているらしい。

私はダンボールを開くと、
手当たり次第に、食器をシンクの下の棚に放り込んでいった。





「確かに食器類と鍋はシンクの下に入れろって言ったけどな。
まな板はシンクの上に出しておいて欲しかったな」
「・・・」
「後、包丁は包丁立てに入れるのが常識だ」

伴野聖は絆創膏を指に巻きながら言った。

私は、テーブル(ちゃぶ台?)の前にちょこんと正座し、
言葉もない。

私が「手当たり次第に」シンクの下に放り込んだ物たちの中に、包丁があった。
しかも私はご丁寧にそれを、ちょうど食器の影に入れてしまい、
「ちょっと休憩しようぜ」と伴野聖がシンクの下からマグカップを取り出した時に、
包丁を触って指を怪我してしまったのだ。

・・・ああ、もう。

「お前は俺を殺したいのか」
「そうね」
「どんだけ俺のこと嫌いなんだよ」
「・・・」

痛い質問だ。

私は黙って、出過ぎた紅茶を飲んだ。
ちなみに私が入れた物だ。

「ティーバックでここまで不味く紅茶を入れられるのも、ある意味才能だな。
嫁に行く気、あるのか?」
「ないわ。私は婿をもらうんだから」
「そーゆー意味じゃない。そんなことじゃ結婚できねーぞ」

・・・。
ここは話題を変えた方が良さそうだ。

私は部屋を見回した。

「ず、随分片付いたわね。あれ?ソファとベッドは?」
「捨てた。ここには入らないからな。布団があれば充分だ」
「そうね。ここじゃ女は連れ込めないだろうし」
「ほっとけ。まあ、確かにあのソファは便利だったけどなー」

便利、ね。

やっぱり女と寝るためのソファだったらしい。
てことは、遊園地で一緒だった女や田上沙良ともあのソファで・・・

ここにあのソファがなくてよかった、なんて思ってしまう私はつくづく馬鹿だ。

ヤキモキした気持ちと一緒に、不味い紅茶を一気に飲む。

「・・・どうして、その『便利』なソファを捨ててまで引っ越したのよ」
「お前が言ったんだろ」
「え?」
「そんなの独立したとは言えない、って。
単に家の『離れ』に住んで好き勝手やってるだけじゃない、って」
「・・・言った、けど・・・え?それで引っ越したの?」

私は思わずマグカップを落としそうになり、
慌てて両手でしっかりと握りなおした。

「それでっていうか、確かにその通りだなーと思って。
だから自分のバイト代で住めるここに引っ越したんだ。
大学も辞めた」
「辞めた!?」
「元々まともに行ってなかったし。
てゆーかぶっちゃけ、親に『演劇一本で行きたいから大学辞める』って言ったら、
『勘当だ!』って言われたからここに引っ越さざるを得なかっただけだけど」
「・・・」

事も無げにそう言う伴野聖。

じゃあこれからは、完全に実家と縁を切って一人で生きていくの?
バイトして生活費稼ぎながら演劇をやって?

「そ、そんなの!そんなの、あんたにできる訳ないでしょ!」
「なんでだよ?」

伴野聖がムッとしたような声を出す。

「あんたみたいに甘やかされて育ったお坊ちゃまが、そんな過酷なことできる訳ないでしょ!
演劇やりたいなら、今まで通り親のすねかじりながら上手い事やっていけばいいじゃない!」
「前と言ってることが正反対だぞ」
「そうだけど・・・」

でも、今の言葉が本心だ。
無茶はして欲しくない。
だって、失敗した時どうするの?
誰も助けてくれないのよ?

そんな困ったことになって欲しくない。

ハアっというため息が聞こえた。

「お前ってほんと、俺のこと嫌いなんだな。当然だろうけど」
「・・・そうよ。当然、」
「なんでさっき泣いてたんだよ?」

伴野聖が私の言葉を遮る。

え?
泣いてた?

「さっき。マンションの前で泣きながら俺に食いついてきただろ」
「泣いてなんか、」
「思いっきり泣いてただろ。
泣きながらわざわざ文句言いに来るほど俺のこと嫌いなのか?」
「・・・」
「それとも」

伴野聖は相変わらず事も無げに言った。


「俺のこと、好きなのか?」
 
 
 
  
 
 
 
 
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