第3部 第28話
 
 
 
いつもの私なら「俺のこと、好きなのか?」なんて聞かれたら、
例えそうでも「自惚れんじゃないわよ!」と一喝して、
ついでに一発お見舞いして、
部屋を飛び出るとこだろう。

でも、今日の私は変だ。

言いたいことが言えない。
言わなきゃいけないって思ってることが言えない。

ダメ。
ここで黙っちゃダメよ。
認めてるようなものじゃない。

でも、やっぱり今日の私は変なのか、
それとも心のどこかに「認めたい。分かって欲しい」という想いがあるからなのか、
私は沈黙したままマグカップの中を見つめた。

また「ハア」という息が聞こえる。

「マユミもよくわかんねー趣味してるな」
「・・・あんたに言われたくないし」
「彼氏は?」
「・・・別れた・・・さっき」
「さっき?・・・ふーん」

師匠のことが頭に浮かぶ。

でも、今師匠のことを考えたら本当に部屋を飛び出して行ってしまいそうで、
何も考えまいと顔を下に向けてギュッと目を瞑る。

ふと、私の顔の前に風が来た。

何かがサワサワと動く気配がして、
顔に何かがくっつく。

目を開いてみたけど、
焦点が定まらないくらい近くに何かがあって、よくわからない。

なんだ、これ?

ぼんやりしていると、ソレがゆっくりと私の顔から離れていって、
段々と焦点が合ってくる。

「・・・何やってるの?」
「元々、そういうつもりだったんだろ?だからここまでついて来たんだろ?」

私が畳に座ったまま後ずさるのと同時に、
伴野聖がグッと私に近づく。

驚いて手が畳に取られる。

あっと思った時には、私は畳の上に仰向けにひっくり返り、
伴野聖の両手が私の耳元につかれていた。

私と伴野聖の顔の距離は、
ぴんと伸ばされた伴野聖の腕の長さと同じだ。

「俺も、マユミがマンションの前で泣いてるの見た時から、
こーゆーつもりだったし」

伴野聖が腕を伸ばす力を緩め、
私と伴野聖の顔の距離がゼロになる。

さっき、感じたのと同じ感触だ。

「やめて・・・」

私は畳の上を背中で這うようにして上に逃げた。
でもすぐに伴野聖の手が肩に当たり、それ以上、上に行けなくなる。

「こんなつもりじゃなかったの」
「嘘つけ。なら、なんで1人暮らしの男の部屋になんか来たんだよ?」
「ここがあんたの部屋だなんて知らなかったから・・・」
「でも、俺のマンションに来ただろ」
「・・・」

そうだ。
私、どういうつもりで伴野聖のマンションに行ったんだろう。
こういう風になるのを望んでいたんだろうか?

違う。
違う。いくらなんでも違う。

ただ、伴野聖に一言文句を言いたかっただけだ。
直接会って、顔を見て、文句を言いたかっただけだ。

それだけだ。


首筋に熱い息がかかる。
その瞬間、背中にゾクッと何かが走った。

それから背中は麻酔にでもかかったかのように感覚を失った。
その麻酔はジワジワと全身に広がり、やがて脳に達する。

身体から力が抜ける。

・・・なんかもう、どうでもいい。
どうなってもいいや。


伴野聖が、慣れた手つきでひょいっと私の足を自分の両肩に掛けた。

そしてスッと太ももに指が走り、
それはそのまま・・・

「・・・あっ」

いきなりの感覚に、私は思わず身を固くした。
でもそれはすぐに終わり、
伴野聖は自分の指と私の顔を見比べて、
訝しげな表情をした。

「お前、処女っつってなかったけ?」
「・・・」
「なーんだ。あの彼氏か。ちぇっ」

あ!

私は足を伴野聖の肩から下ろし、
力任せに畳から起き上がった。

「やっぱりダメ!」
「何を今更」
「だって、私さっき・・・!」
「別れたばっかり?それこそ今更だろ。真面目ぶってももう遅い」
「・・・」

ほんと、そうだ。
今更真面目ぶっても遅い。

だけど、そうじゃない。

「・・・ないの」
「は?」
「シャワー、浴びてないの」
「そんなのどーでもいいって」
「そうじゃなくて!」
「?」

私は赤くなりながら、スカートの裾で膝を隠した。

「・・・ふーん。そういうことか。さっきまでその彼氏とやってたんだな?」
「・・・」
「シャワーも浴びないままホテルでサヨナラか。
で、その足で俺んとこに来た?大した女だな」
「・・・」

恥ずかしさで涙が出そうになる。

私、何やってるの?

「んじゃ、シャワー浴びればいいじゃん」
「・・・え?」

伴野聖が引き戸の向こうを指差す。

「もうお湯も使えるはずだ。シャワー浴びて来いよ」
「・・・」

ここでシャワーを浴びる?
伴野聖に抱かれるために?

・・・好きな人に抱かれるのだから、文句はないはずだ。

でも、それじゃあこの屈辱感はなんだろう。

なんか、物凄く馬鹿にされてる気分。
だって伴野聖は私のことなんてなんとも思ってない。
自分のことを好きな女がノコノコやってきたから、
ラッキーと思ってるだけだ。

「さっきまで別の男に抱かれてた?
シャワーを浴びてキレイにしてくるなら、そんなこと全然問題ないし」、
くらいに思ってるだけだ。

こいつはそういう男なんだ。

伴野聖におもちゃのように抱かれるのは嫌だ。
でもそれ以上に、
伴野聖に抱かれるためにシャワーを浴びるという行為がとてつもなく嫌だ。

私は両手を握り締めて立ち上がった。

「なんだよ?」
「タオル。貸して」
「・・・ああ」

伴野聖が押入れを開け、中からバスタオルを出してバサッと私の頭の上にかけた。

伴野聖から私の顔が見えなくなってちょうどいい。
もう、今にも泣きそうだ。

私は頭からバスタオルを被ったまま、
伴野聖に背を向け、お風呂場へ向かった。

このままシャワーを浴びて、伴野聖に抱かれてしまおう。
とことん自分を
おとしめたら、いくらなんでも目が覚めるだろう。


死刑台に向かう囚人のような気分でお風呂場の扉に手を伸ばすと、
突然横から別の手が出てきて、私の手首を掴んだ。

「もういい。冗談だって」
「・・・」
「もういいから。こっち来い」

伴野聖が有無を言わせず私を部屋へ連れ戻し、
畳に座らせた。
頭からバスタオルが取り除かれたけど、
視界がぼやけてて、何も見えない。

さっき私の手首を掴んだ手が、
今度は私の頬を拭う。

「お前、ほんと馬鹿だな。本当に『じゃあ』っつってシャワー浴びるアホがいるか」
「だってそうしろって言ったじゃない」
「ああ言ったら、怒って帰るかなと思ったんだよ」
「帰らせたかったの?」
「ああ。帰ってくれないと、本当に抱きそうだったから。・・・結局帰らねーし」

これだ。

伴野聖は酷い奴だけど、ギリギリのところで何故か優しい。

私を騙したくせに、律儀に舞台のチケットを送ってきたり、
私を貶めるようなことをしておいて、急に助けたり。

どうせならとことん酷い奴になってくれたらいいのに。
そうすれば、好きになったりなんかしないのに。


伴野聖が私を抱き締め、そのまま畳の上に一緒に倒れる。
私は背の高い伴野聖の体重を一身に受け止め、
気の遠くなるような息苦しさを覚えた。

でも、このまま死ねるなら、
それはそれで幸せかもしれない・・・

だけど私はまだ死ねないらしい。
伴野聖が顔のあちこちにキスを始めた。

「マユミの彼氏」
「え?」
「お前に随分執着してたんだな。凄いとこにキスマークがついてたぞ。
まさか、さっきつけられたばっかりとは思わなかったけど」
「え?どこ?」
「自分では絶対見えないところ」
「・・・」

キスが服の中へ移る。

「ダ、ダメだって、本当に。・・・嫌じゃないの?」
「嫌。すげー汚い気がする」
「・・・」
「でも、これはこれで面白いかも。自分の色を上塗りしてる気分」
「・・・さいてー」

私は思わず少し笑ってしまい、顔を両手で覆った。

私の肘の間に伴野聖が顔を埋める。

「くすぐったい」
「お。ここにもキスマーク発見。俺も上から付けとこ」
「ほんと、さいてー」
「人のこと言えるか。さいてーな者同士、楽しくやろうぜ」
「・・・」

本当に最低だ。

でもこの「最低」こそが伴野聖の持つ自由な雰囲気の源なのかもしれない。
だって、人間、とことん最低には中々なれないものだから。

もし私が伴野聖の持つ自由に惹かれたのなら・・・
やっぱり私も最低な人間なんだろう。


でも、いっそこのまま最低な人間であり続けたい。
 
 
  
 
 
 
 
 ↓ネット小説ランキングです。投票していただけると励みになります。 
 
banner 
 
 

inserted by FC2 system