第4部 第8話
 
 
 
相変わらず古ぼけた扉をノックすると、
今日は中から男の人の声がした。

「はい」
「あ、寺脇です」
「なーんだ」
「その声は、青信号ね?さっさと開けなさい」
「イヤー」
「あっそ。じゃあ、コレは持って帰るわね。さよなら」

私が扉に背を向けると同時に、扉が開く。

「コレって何!?差し入れ!?気が利くなあ、マユミ!」

聖譲りなのか、馴れ馴れしく私をマユミ呼ばわりする青信号、18歳。
名前は・・・青信号である。

「でしょ?はい、コレ」

私はスタバの紙袋を差し出した。
ウキウキといった感じで青信号がそれを受け取り、
中身を覗き込む。

そして・・・微妙な顔になった。

「何、これ」
「見たら分かるでしょ。Tシャツとタオル。
聖に着替えを持ってきてって言われたの」
「・・・」

差し入れなんて、一言も言ってないもんね。

青信号は赤信号になりそうなくらい膨れっ面になって、
上の階へと上がっていった。

と、部屋の奥から笑い声がした。

「失礼な態度を取って悪いね、マユミちゃん」
「こんばんは、都築さん」

パソコンの前に座っているのは団長の都築さんだ。
都築さんは椅子から立ち上がると、私にお茶を入れてくれた。

「あ、いいですよ、そんな」
「とんでもない。大事なお客様だからね。
もっといっぱい遊びに来てくれていいのに」
「はあ」

もっといっぱいも何も、
ここへ来るのはまだ2度目だ。
それも、聖のおつかい。
遊びに来た訳じゃない。

聖にここに呼ばれたあの日、
私はついに劇団こまわりへの通行手形を手にしたような気分だった。
そして都築さんが言う通り、私がここに遊びに来ても誰も迷惑はしないだろう。
(限度はあるだろうけど)

だけどそれでいて、私はいまだに意識的に劇団こまわりに来ないようにしている。

だって、欲望のままに来てしまえばそれこそ毎日になるだろうし、
ここは聖が全てを賭けて本気で演技に取り組んでいる場所。
彼女だろうと家族だろうと、遊び半分で来てはいけない気がする。


都築さんが自分の分のお茶も入れ、台本で9割がた占拠されている机の椅子に座る。
お陰で私もお茶を頂きやすくなり、都築さんの向かいに腰を下ろした。

「ちょうど俺も休憩したいと思ってたんだ」
「都築さんは、劇の練習に出ないんですか?」
「今回は、俺は裏方」
「ああ、なるほど」

劇団こまわりの団員数は100人弱。
大体、1つの劇に出るキャストは20人から30人で、
他の団員は裏方をしたり、次の劇の練習をしたりしている。

だけど、この裏方というのが本当に大変だ。
劇で使う小道具や大道具を作るのはもちろん、
パンフレットやチケットの作成、寄付金集め、宣伝活動、劇場の手配、当日の雑用・・・
とにかく何から何までやる。
聖曰く「役者は演じることに集中すればいいだけだから、ある意味楽だ」とのこと。
毎日の練習時間を考えると、私にはとても「楽だ」とは思えないけど。

何ヶ月か前も、聖が劇に出たことがあったけど、
公演直前は大変だったなあ・・・
バイトもせずに一日中稽古場にこもってたし、
ひどい時は夜通し練習してた。

聖が主役を演じるのはもちろん嬉しいけど、
またあの会えない日々が始まるのかと思うと、今から寂しい。


都築さんがお茶を一口飲む。

「聖の奴、変わったよ」
「え?」
「前から、人一倍演劇に対しての思い入れは強かったし稽古は真面目にやってた。
演技力もそこそこあるし、見た目もいいし、目立つ存在だよ。
ほら、浜崎って女の子、覚えてる?この前ここにいた」
「はい」
「あの子は、聖に憧れてここに入団してきたんだ」

え。憧れて?

私の動揺が分かったのか、都築さんがすかさずフォローする。

「憧れって言っても、男として半分・役者として半分、ってとこだと思うけど。
一応うちでは団員同士の恋愛は禁止してるから、付き合ったりはしてないと思うし」
「恋愛禁止なんですか?」

なんか、ドラマみたいだ。

「うん。演じてる時はみんな真剣だから、言い争いになったりもする。
そんな時に変な私情を挟まれると困るんだ。
だからお気軽な交際は禁止してる。お互い本気の場合は仕方ないけどね。
劇団員同士が付き合い始めたら、みんな『いつ結婚するんだ』なんてからかってるよ」
「へえー。でも聖なんか、そんな規則平気で破って、
片っ端から劇団員の女の子に手をつけそうですけどね」
「あはは、マユミちゃんがそれを言うのか。
でも、ご期待に応えられなくて申し訳ないけど、
聖もちゃんとこの規則は守ってる。
いつも劇団員以外の女の子と適当に遊んでるし・・・って、知ってるよね?」
「ええ、まあ」

都築さんが「あいつ、本当に信用ないんだな」と苦笑する。

「でも、あいつ、実家と完全に縁を切ってから変わったよ。
さっきも言った通り、聖はそれまでも演劇に対して真剣だったけど、
やっぱり他の団員とはちょっと違ってた。
いざとなったら実家に頼れるって無意識に思ってたんだろうな。
他の劇団員が必死に生活費削ってバイトして、劇団へ活動費を一円でも多く入れようとしてるのに、
聖は親からの仕送りをほとんど劇団にポンっと入れて・・・それも、毎月凄い額なんだ、
もちろん劇団としては助かってたけどね。
そのくせ、自分の生活費や欲しい物は女から貰ったりしてた」
「・・・」
「だけど今は、意気込みが全然違う。
ここで成功しなきゃ後が無い!って必死さを感じるよ」

それは私も感じてる。
聖の中で順位をつけるなら、私が何位かは分からないけど、
1位は2位と大差をつけて演劇だ。
というか、1位以外の全ては1位のために存在すると言ってもいい。

私もその駒の一つだ。
でも、それは決して嫌なことじゃない。
むしろその中で一番大きな駒になりたいと思う。

「マユミちゃんのお陰だと思うよ」
「・・・え?」

都築さんは優しい目で微笑んだ。

・・・そうか。都築さんにとって、
聖は、劇団員は、
子供みたいなものなんだ。
そして、その彼女である私も。

「聖が、
『いつまでも親のスネかじってじゃねー!って、マユミに
かつ入れられた』って言ってたよ」
「わ、私、そんなこと言ってません!」

まあ、内容としては、そんな事言ったかもしれないけど・・・

赤くなってお茶をすする私を見て、
都築さんが必死に笑いを噛み殺す。

「いや、感謝してるんだよ、俺は。
あの『俺様』にそんなこと言えるのは、マユミちゃんくらいだ。
聖からの活動費が減ったことは正直痛いけど、
今のあいつの気迫は、他の劇団員にもいい刺激になってる」
「そ、そうですか・・・それは、その・・・よかったです、はい」
「あはは」

聖!!!
恥ずかしいじゃない!!!


でも・・・そっか。
私は昔の聖をよく知らないけど、
聖、変わったんだ。
私の言葉で。

ついでに女に関しても昔と変わっていて欲しいと思うけど、
そこまで望むのは贅沢なことなんだろうか。


博子を見る聖の目が思い出される。


もしかしてこの2人、昔付き合ってたとか?
なんて思ったけど、博子は聖のことなんて全然知らないみたいだった。

いや、もしかしたら博子はそれこそ演技をしてたのかもしれない。
聖の方は不意打ちだったからか、あからさまに動揺してたけど、
博子は私が前からよく聖の話をしていたから、聖のことを元彼だと気付いていて、
本人を目の前にしても初対面の振りができたのかもしれない。

・・・なんて。

そんな複雑なこと想像する前に、
もっと簡単なことを想像できるじゃない。


聖は博子を一目見て気に入った、のかもしれない。


かわいいもんね、博子。
ちょっと謎めいたところあるし、聖が惹かれるのもわかるよ、うん。


だけど、そんな余裕ぶったこと言ってられるのは、
私が聖を信じているからだ。

聖は浮気なんて絶対しない、
じゃない、もちろん。
悔しいけど。

聖は、もし本気で他に気に入った女ができたら、
あっさりと私を捨てるに違いない。
でもそうしないのはきっと、
私を振る程にはまだ博子に惹かれていないのだろう。

悲しいかな、私はそう信じているし、多分それが事実なのだろう。

確かにあの日以来、聖はちょっとおかしい。
妙にぼんやりしているかと思ったら、
深刻な顔して何かを考えてたり、
かと思えば、突然のめり込むように私を抱いたり。

でも、今ならまだ聖の心を取り戻せるかもしれない。


私はただそれを祈りながら、
今日も聖の帰りをアパートで待つしかないのだ。
 
 
 
  
 
 
 
 
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