第4部 第5話
古ぼけた4階建ての雑居ビル。
その前を通ったことも3秒後には忘れてしまいそうな何の特徴もない白いビルだ。
いや、「白い」と言っては白色に失礼だ。
これはもはや灰色だ。
でも、今の私には白い巨塔のように見える。
その白い巨塔の2階が劇団こまわりの事務所で、3階が稽古場だ。
昔はダンス教室だった所を改装して使っているらしい。
火災が起きた時に「構造上、問題がありますね」とテレビのキャスターがいちゃもんをつけるのにもってこいな狭さの階段を恐る恐る上る。
でも、こまわりの人がきちんと管理しているのか、
階段にはゴミ一つ落ちておらず、電球も明るい。
ここはちゃんと評価してよね、キャスターさん。
と、意味不明な念押しを心の中でして、2階の扉の前に立つ。
『劇団 こまわり』
扉に掛けられた、
いかにもお手製という感じの小ぶりの木の看板が私を出迎える。
お手製と言っても決して安っぽいものではなく、
来るものを拒まない温かみのある看板だ。
私は少し緊張が解けて、
看板の下あたりをコンコンと2回ノックした。
すぐに、「はい!」という女の人の声が返ってくる。
拡声器でも使ってるんじゃないかというほど大きくて良く通る声だ。
私が面食らっていると、扉が内側から引かれた。
余談だけど、この扉がこちら側に開く扉じゃなくてよかった。
階段から落っこちるところだ。
「はい!どちら様でしょうか!」
さっきと同じ声の二十歳くらいの女性が明るい笑顔で現れた。
その肩越しに見える事務所には、受付らしいものは無く、
パソコンや台本らしき本が乗った大きな机と、
ビデオテープや機材なんかが所狭しと置かれていた。
そしてその机の周りに5,6人の男の人が集まっており、
そのうち何人かは私の方を見ている。
「どちら様でしょうか?」
もう一度聞かれ、私は我に返った。
「あ。あの、私、寺脇と言います。さと・・・伴野聖はいますか?」
とたんに、女の人の目が輝いた。
「ああ!寺脇さん!お久しぶりです!」
「え?」
「去年の『アニマルず』の公演の時、カンパして見に来て下さいましたよね!
私、あの時楽屋の前で寺脇さんに声を掛けられた者です」
「・・・あ!」
クリスマスに聖の舞台を見た後、
師匠に連れられて楽屋に行った時に声をかけた女の人だ!
「私、浜崎と申します。その節はありがとうございました」
女の人が丁寧に頭を下げる。
「い、いえ、そんな・・・あの・・・」
「あ、聖さんは今、上で稽古中です。呼んで来ましょうか?」
この浜崎さん、前は聖のことを芸名の「さとる」と言っていたけど、
今は「聖さん」になってる。
それって、前は私は単なるお客だったけど、
今は聖の個人的な知り合いとして認識してくれてるっていうことなんだろうか。
それって、聖がここで私の話をしてるってこと、なのかな・・・?
「君が寺脇マユミさん?」
浜崎さんの後ろから、優しげな雰囲気の男の人が現れた。
歳は30くらいだろうか。
ここにいるということは役者さんなんだろうけど、
良く言うと物腰が柔らかい、悪く言うと少し地味な、そんな印象だ。
でも、どこかで見たことがあるような、ないような。
「初めまして。僕、ここの団長をやっている都築です。
『アニマルず』でライオンの役を演じてたって言えば、わかるかな?」
え?ライオン?あの金髪の?
黒髪だから全然わかんなかった!
それに・・・団長さん!?
ということは聖から見れば目上の人なんだろうかと思い、
私は慌てて姿勢を正した。
「初めまして!寺脇です」
「君が噂の・・・あ、この前はあんなに沢山寄付してくれて、ありがとう。
個人が、しかも高校生が5万円も寄付してくれるなんて、驚いたよ」
「いえ・・・」
確かにこの劇団に寄付したことに違いはないんだけど、
あの時は聖に騙されていたとも言えない。
「しかも、寺脇家の名前まで貸してくれて。
お陰で、今まで後援してくれなかった企業もお金を出してくれるようになったんだ。
本当にありがとう。凄く助かってるよ」
お世辞なのかもしれないけど、
この人の言葉はそのまま受け取ってもいいかな、と思わせる不思議な雰囲気を持った人だ。
「お役に立てて良かったです」
「お役に立ててって言う意味では、あの寄付より今の方が役に立ってくれてるけどね」
「え?私がですか?」
「そう」
私が、意味が分からないという顔をしていると、
突然都築さんの背中からニョキッと生えるように男の顔が三つ出てきた。
本当に都築さんの背中から顔が生えたのかと思って思わず「キャッ」と声を上げる。
が、よく見るとかなり面白い。
3人とも若くて、多分私と同い年くらい。男の人っていうか、男の子だ。
しかも、都築さんの背中から左に出ている男の子の頭は赤。
右上に出ている男の子の頭は黄色。
右下に出ている男の子の頭は青色。
信号機だ。
その信号機に付いた6つの目は興味津々に私を見ている。
「へえー。この子が、」
「聖さんの彼女の、」
「マユミさんかあ!」
赤、黄、青、と順番に口を開く。
ちゃんと一つの文章になっているところが素晴らしい。
私があっけに取られていると、
都築さんがクスクスと笑った。
「ゴメンね。こいつら、今やってる劇で3兄弟の役やってて・・・
最近じゃ、プライベートでもなんかシンクロしてるんだ」
「へ、へえ・・・すごいですね・・・」
都築さんの後ろから赤信号が出てきて私の全身をジロジロと見た。
「さすがに聖さんの彼女だけあって、結構かわいいね。胸ないけど」
続いて黄信号。
「でも、聖さんが言ってたような尽くすタイプには見えないけどなー」
最後に青信号。
「うんうん。どっちかってゆーと、男を尻に敷くタイプ・・・」
私は手に持っていた学校の鞄で、
赤・黄・青の順で頭を殴った。
心なしか、トン・チン・カンという音に聞こえる。
「い、痛い・・・」
「ひ、酷い・・・」
「か、痒い・・・」
青信号は五感に問題があるらしい。
都築さんが、頭を押さえている信号トリオの首根っこを掴み、自分の後ろに追いやった。
浜崎さんはお腹を抱えて笑っている。
「こら、お前ら。浜崎も笑うんじゃない。
寺脇さん、許してやって。みんな、悪気はないんだ」
「はい」
「あ。聖に会いに来たんだよね?
今日はちょっと連絡事項があったから、練習開始が遅れたんだ。その分、終わりも押すと思う。
でも、もうそろそろ休憩なんだけど・・・」
都築さんが言い終わらないうちに、
ドタドタドタと階段を下る足音がし、事務所の扉が勢い良く開いた。
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