第4部 第6話
 
 
 
「マユミ!悪いな」
「うん。お疲れ様」

聖が頬を上気させ、息を弾ませて現れた。
目がキラキラと輝いている。

この聖、好きだなぁ・・・

そう思って聖に見とれていると、
急に聖が私の手を引き事務所を飛び出した。

後ろで信号トリオが、
「いってらっしゃーい」
「ホテルは出て右にあるよー」
「ちゃんと避妊してねー」
とかほざいているけど、もちろん相手をしている暇はない。


聖は劇団の入っている雑居ビルを出ると、
ホテルがあるらしい右とは反対方向に歩き出した。

この時間帯は薄手の上着を羽織っている人も多い、この時季。
半袖Tシャツで汗をかいている聖は人目を惹く。
でも聖はそんなことも気にならない、というか、
気付いていないのか、
私と手を繋いだまま夜の街をズンズンと歩いていく。

「聖。稽古、いいの?」
「今から20分の休憩。それから11時近くまでまた稽古」
「そう・・・ねえ、待っててもいい?」
「ああ。でも稽古場には入ってくるな。事務所で待ってろ」
「うん、分かった」

聖は歩きながらキョロキョロと何かを探している。
まさか本当にホテルを探してる訳じゃないだろうけど、
目的地は特にないらしく、
細い道に入ろうとしてやめたり、
立ち止まるかと思ったら急に足を早めたりで、
何をしたいのかよく分からない。

「どうしたの、聖?あんまり遠くに行ったら、休憩時間終わる前に戻れないよ?」
「うん?ああ・・・そうだな。ここでいっか」

そう言って聖は立ち止まったけど、
「ここ」と言っても歩道のど真ん中だ。
何があるというのだろう。

聖がガードレールに腰かけた。
私も真似しようと思ったけど、
身長が足りないのでその横にもたれる。

聖はジャージのズボンのポケットの中を探ると、
半分に折られたA4サイズくらいの紙を取り出し、
私に差し出した。

「何、これ?」
「何って・・・うーん。プレゼント?」
「プレゼント?私に?」
「うん、まあそうだな」

プレゼントって・・・
そんなもの、聖から貰ったことなんて一度もない。

一緒にいるようになってから、プレゼントを渡したり貰ったりするようなイベントもなかったし、
聖には時間もお金もなかったから、
「プレゼントを貰う」なんてこと自体、考えもしなかった。

それに私は聖の彼女という訳でもないから、プレゼントを貰う理由もない。

それなのに・・・
なんなんだろう、この紙は?

私は身体の中がフワフワしているような感覚にとらわれながら、
少しクシャッとなった紙を恐る恐る縦に開いた。

その一番上には、
「『劇団こまわり版 ロミオとジュリエット』(仮) 配役」
と書かれてある。

そしてその次の行には・・・


「ロミオ役  伴野聖」


え?ロミオ役?
ロミオ・・・
それって・・・

「主役?」

私がポカンと口を開けたまま聖を見上げると、
聖は二カッと笑って頷いた。

「おう。主役だ」
「・・・主役」
「ああ」
「・・・」

私は目を紙に戻した。

3行目からは「ジュリエット役・・・」と続いているけど、
私の目にはもう2行目しか入ってこない。

主役。
聖が主役をやるんだ。
クリスマスの日に見た舞台みたいなところで、主役を演じるんだ。

胸の中にじわじわと熱い何かが広がっていく。


聖が演劇を始めたのは中学1年生の時。
部活紹介の時に見た演劇部の発表に衝撃を受けたのだという。
そして中学時代を演劇部で過ごし、
次第に「もっと本格的にやりたい!」と思うようになり、
高校入学と同時に劇団こまわりに入団した。

それから6年半。
聖は人気のある役者になったけど、
主役を演じたことは一度もなかった。

それがついに・・・


私は込み上げてくる物をグッと堪え、
いつもの笑顔でできるだけ冷静に言った。

「おめでとう」
「なんだよ、それだけかよ」
「・・・だって・・・」

聖がどれだけ真剣に演劇に取り組んでいるかは分かってる。
でも、私が聖と一緒にいたのはこの半年だけ。
演劇のこともよく分からない。

そんな私が、手放しに喜ぶのは失礼というか・・・
聖のことも演劇のことも知ったかぶってるみたいでなんか嫌だ。

だけど、冷静な振りをするのもちょっと厳しくなってきた。

聖が呆れたように笑う。

「マユミが泣いてるの、久々に見たなー」
「だって・・・」
「ははは。泣いとけ、泣いとけ。
公演が近づいたらまた忙しくなって会えなくなるからな。
その時の分まで今のうちに泣いとけ」
「うん・・・そうする」

私が紙を顔の前で両手で握りしめて本泣きの体勢に入ると、
聖の両腕が私を覆った。

聖のTシャツの胸の部分が見る見るうちに濡れていく。

「・・・おめでとう・・・頑張ってね」
「ああ。マユミには本番までのお楽しみにしておきたいから練習は見に来るなよ?」
「うん・・・でも、どうしてこれが私へのプレゼントなの?」

すると、頭の上からちょっと照れくさそうな声が降ってきた。

「マユミはいっつも俺のために色々やってくれてるのに、
俺、マユミにプレゼントの一つもあげたことないなーと思って。
でも、俺は金ないしマユミは金持ちだし、何をあげたら喜ぶかなって考えたら、
これしか思いつかなかった。だから、先月の劇団内オーディションで頑張ってみた」
「聖・・・」

今の私の気持ち。
「嬉しい」なんて言葉ではとてもじゃないけど表現しきれない。

幸せ・・・うん、そうだ。
幸せなんだ、私。

今までだって、聖は主役を目指してきただろう。
でも今はそこに、ほんの少しかもしれないけど「マユミのためにも」というのがあるんだ。

それがとてつもなく幸せだ。
申し訳ないけど、今結婚式を挙げている人たちなんかよりずっと幸せだと思う。

でも、
「もう人生でこれ以上幸せな瞬間は訪れないだろう」と、
本気で思っていたのに、その瞬間はあっけなくすぐに訪れた。


「たまには彼氏らしいことしとかないと、マユミに愛想つかされるしなー」


・・・。


強引に聖の胸から顔を上げる。

「聖って私の彼氏なの?」
「おい。俺、マユミの彼氏じゃないのか?じゃあなんだよ?ヒモ?」
「・・・っぷ。そうね」
「おいおい」

顔の上に聖の唇が降りてきた。




その日、私は生まれて初めて朝帰りをやらかし、
パパとママにこっぴどく叱られた。

だって。
聖が全然離してくれず、
携帯のアラームにも気付けなかったから。

ううん、実は気付いてたんだけど、
自分の中で気付かない振りをしていた。

だって。
聖に抱かれている時、
ちゃぶ台の上に乗っている真新しいケトルの色が目に飛び込んできたから。

空のような、海のような碧いケトル。
その色は、グアムの恋人岬を思い出せた。

親と婚約者から逃げるために手を取り合って崖から飛び降りた恋人達。
前は、その恋人達の気持ちが分からなかった。

でも、今は少しその気持ちが分かる。


聖となら一緒に、飛び降りられるかもしれない。

 
 
  
 
 
 
 
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