第2部 第19話
 
 
 
先輩は何事もなかったかのように、パスタをフォークに巻きつけた。
でも、俺はもう食事どころじゃない。
それどころか、時間が止まったように、周りの音さえ聞こえなくなった。

頭の中で色々なことが思い出され、
その時々に感じた小さな疑問に、全て答えが与えられたような気がした。

「・・・先輩」
「何?」
「MBA、取るんですか?」
「・・・」

MBA。
欧米では、「経営幹部へのパスポート」と言われる経営学の修士号だ。
物凄く難関だけど、いかにも先輩が欲しがりそうな資格じゃないか。

「そのために海外へ・・・アメリカの大学へ行くんですか?」
「・・・」
「だから、他の3年生ほど受験勉強しなくていい?だからバイトも続けてた?
留学費用にもなりますもんね。MBAの取得には1千万かかるって言われてるし」
「・・・」

先輩がフォークを置いた。

同じだ。
先輩と初めて図書室で一晩過ごした後、先輩に1週間無視し続けられて、
業を煮やした俺が先輩をここへ引っ張って来たあの時と同じだ。

こうやって向かい合って座ってるのも、
先輩が沈黙するのも。

あの時俺は、先輩を置いて一人で学食を出て行った。


そして、それも同じだった。






「あ、湊さん。どうしたんですか?また落ち込んじゃって。
もしかして早くも、俺と小倉先輩と坂上先輩で湊さんを取り合ってる、とか噂になってます?」

いつもの月島の軽口にも応える気がせず、
俺は無言で寮のエレベーターに乗った。

すると、月島が慌てたように俺に続いてエレベーターに飛び乗ってきた。

「・・・湊さん?どうしたんですか?」
「別に」
「あの・・・もしかして、本当に怒ってます?」
「怒ってない」
「・・・」

月島が青くなる。

いつもは生意気なくせして、
俺が本当にちょっと機嫌が悪いと、こんなに焦るんだな。
やっぱ子供じゃん。

でも、月島を気遣ってやる気もしない。


俺も月島も、月島の部屋の階のボタンを押さなかったから、
エレベーターは月島の部屋の階を素通りし、
俺の部屋の階に止まった。

無言でエレベーターを降りる俺に、
月島も黙ってついてくる。

だけど俺は自分の部屋に入ると、
後ろの月島を見もせずに扉をバタンと閉じた。

そして扉に背を預け、ズルズルと床にうずくまった。






ルームメイトの先輩が居なくてよかった。
お陰で思い切り落ち込める。

俺はいかにも「落ち込んでます」とばかりに、ベッドの中で丸くなり、
頭から布団をかぶった。
こうすると、真っ暗で静かになり、自分の思考に集中できる。

初めからゆっくり考えてみよう。

きっと先輩は昔からMBAを取りたかったんだ。
そのために海光に入学して、海外留学を目指しているのだろう。
つまり、俺と出会った時すでに、先輩は自分の将来を決めていたんだ。

俺はそこに割り込んだに過ぎない。

図書室での一夜の後、先輩が俺を避けていたのは、
月島が言ってたように恥ずかしさや恋愛に対する躊躇いもあったかもしれないけど、
今思えば、来年にはアメリカへ行くことが決まっているのに、
俺と恋人同士になっていいものかどうか、悩んでいたのかもしれない。

そう。
先輩も悩んでたんだ。
先輩も辛かったんだ。


でも・・・!

なんでだよ!?
そりゃMBAは英語が必須だし、
将来のことを考えればアメリカに行った方がいいかもしれないけど、
日本でだってMBAは取れるだろ!?
そもそも、MBAなんか持ってなくたって企業家にはなれるんだ!
いや・・・先輩は女なんだ。
日本で普通の大学へ行って、普通の会社へ就職したらいいじゃないか。
企業家なんかにならなくったって、普通に結婚して主婦になればいいだろ!


自分勝手な考えを一気に出し切ったところで、俺はようやく落ち着いた。

布団から頭を出し、仰向けに転がる。


分かってる。
企業家になることは先輩の夢だ。
MBAはその夢を叶えるには、物凄く大きな強みだ。
ましてや、男だの女だのなんて、関係ない。


それなのに・・・
かっこよく、男らしく、
「頑張ってきてください」
って言えないのかよ、俺は。


はあ・・・
月島のこと子供だって言っておきながら、
俺だっててんでガキじゃないか。


先輩の夢を応援したい気持ちはある。
でも、それで先輩に会えなくなるなんて嫌だ。


俺は、いつだって先輩と一緒にいたいんだ。
一緒に・・・


『私、湊君と一緒にいたい』


俺はガバッとベッドから起き上がった。

あれはいつだっけ・・・
先輩がああ言ったのは・・・

そうだ。
俺を避けまくっていた先輩に、俺が意地悪して、
「勉強と俺、どっちが大事なんですか?」って聞いたら、
先輩がそう答えたんだ。

あれはどういう意味だったんだろう。
MBAのことは関係なく、ただ単に雰囲気に流されて言っただけの言葉か?
それとも、まさかMBAを諦めて俺と一緒にいる、って意味で言ったのか?

もし後者なら・・・
俺は嬉しいだろうか?

先輩が、俺と一緒にいたいがために、自分の夢を諦めると言ったら。

答えは「ノー」だ。
でも「いってらっしゃい」とは言えない。


俺は、どうしたらいいんだろう。






「月島?」
「湊さん!」

何の答えも出ない憂鬱な気分のまま、それでも腹は減り、
学食へ夕飯を食べに行こうと寮の一階に下りたら、
ロビーのソファに月島が座っていた。

「何やってるんだ?」
「俺・・・湊さんを怒らせたかなと思って・・・」

それを心配して、ずっとここにいたのか?
あれからもう3時間以上経つぞ?

「お前、成績いいくせに馬鹿だなー。本当に俺をめぐっての四角関係の噂がたつぞ」
「・・・」

・・・どうやら本当に落ち込んでいるらしい。
なんか、俺よりしょぼくれてるぞ。

そんな月島を見てたら、なんだか笑えて来た。

「ぷぷぷ」
「・・・なんで笑うんですか」
「あははは・・・いや・・・あのさ、先輩、MBA取るためにアメリカへ行くんだってさ」
「・・・もしかして、それで落ち込んでたんですか?」
「うん」

とたんに月島がプリプリ怒り出した。

「なんですか、それ!俺、全然関係ないじゃないですか!!」
「だから、誰もお前のせいだなんて言ってないだろ」
「あー!もう!!心配して損した!!俺、飯食ってきます!!!!」
「あはは、一緒に行こーぜ」
「嫌です!!!」
「ははははは」

俺は、珍しく「怒り心頭!」といった感じの月島の後ろを、笑いながらついて行った。
 
 
 
  
 
 
 
 
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