第2部 第2話
 
 
 
「・・・本当に開いた」
「ね?」

俺と春美さんは、渡り廊下の扉から恐々と校舎の中へ入った。

まさかもう幽霊が恐いなんて歳じゃないけど、
それでも夜の学校は独特の雰囲気があって、風の音すらどこか恐ろしい。

春美さんも身を縮めて俺の後ろにピタッとくっつく。

「・・・春美さん、歩きにくいです」
「だって・・・恐いよ・・・」
「・・・」

可愛らしい春美さんに、こんな風に弱弱しく言われたら、
「ちゃんと歩いてください」とは言えない。

俺と春美さんは寄り添うようにしてゆっくり校内を進んだ。

俺の背中で春美さんがポツリと言う。

「亜希子さん・・・自殺してたらどうしよう」
「は?自殺?」

思わぬ言葉に俺は足を止め、春美さんを振り返った。
春美さんは目に涙をいっぱい溜め、俺を見上げる。

「ごめんなさい・・・私、亜希子さんに『湊君に告白された』って嘘ついたの」
「告白?」
「うん。『ずっと憧れてた』って言われたって」

俺は苦笑した。

「それは嘘じゃないじゃないですか。俺、確かにそう言いました」
「うん・・・でも・・・」
「告白、じゃありませんけどね」

春美さんは申し訳なさそうに、「うん、わかってる」と言って頷いた。

「私、亜希子さんが羨ましかったの」
「・・・」
「いつも成績トップで、生徒からも先生からも信頼されてて・・・その上、湊君も・・・」
「・・・」
「ごめんなさい」
「俺に謝る必要なんてないですよ。謝るなら、先輩に謝ってください」
「・・・うん、そうだよね」
「そうですよ」

俺がそう言うと、春美さんはやっと少しだけ笑顔になった。



先輩に春美さんを紹介してもらった頃は、
春美さんと俺はただの「先輩」と「後輩」だった。
でもしばらくすると、俺の自惚れじゃなく、春美さんは俺に好意を寄せるようになった。

少し前の俺なら、大喜びだっただろう。

でも、今ははっきり言って困る。

だからあの日、いつになく真剣な眼差しで俺を見つめる春美さんに、
俺は先回りしてこう言った。

「俺、春美さんにずっと憧れてたんですよね」

言葉だけ聞けば、告白のようにも取れるだろう。
でも俺は、その口調にはっきりと、
「これは継続形ではなく過去形です」
という気持ちを表した。

春美さんは、どこかの誰かさんのように鈍くはない。
ちゃんと俺の真意をわかったはずだ。
そして、俺の気持ちは今どこにあるのかも。

だから春美さんはそれ以上何も言わずにいてくれた。

先輩に、俺に告白された、と言ったのは、
ちょっとした嫉妬からくる小さな意地悪だろう。

でも、もし本当にそれが原因で先輩が姿を消したのなら、
俺としては喜ぶべきでもある。

だけど、自殺だなんて、とんでもない!


俺は春美さんを引っ張るようにして、先輩の教室へ向かった。

が、そこにも誰もいない。

「校内で他に、先輩が行きそうなところ、ありますか?」
「どこだろう・・・」
「生徒が普段行くところは・・・音楽室、生物室、視聴覚室、家庭科室、図書室・・・」

そこまで言って、俺と春美さんは顔を見合わせ、同時に叫んだ。

「図書室!」

物凄く先輩が行きそうなところだ。
俺と春美さんはほとんど走るような勢いで、図書室へ向かった。


そして、その考えは見事に当たっていた。


まさか、松下幸之助の本を読んでいるとは夢にも思わなかったけど。






「み、湊君、」

俺が顔を離すと、
俺と先輩が座り込んでいる床に差し込む、まだ頼りない朝日の中でもはっきりとわかるくらい、
先輩は真っ赤だった。

「何ですか?」
「何ですかって、」

先輩は身じろぎをして俺の腕から逃れようとしたけど、俺はそれを許さない。

「どうしてこんなことするのよ・・・湊君、春美ちゃんのこと好きなんでしょ?」
「・・・まだ、そんなこと言ってるんですか」

本日何度目かのため息をつきながら、俺はもう一度先輩にキスをした。

そう言えば俺、キスってしたことなかったな・・・

今更そんなことに気がつく。

「待って。待ってよ・・・」

先輩が無理矢理俺の胸を押して、身体を引き離す。
やっぱり、先輩はちゃんと筋が通っていないことは嫌いらしい。

言わなくってもわかるだろ?

・・・先輩はわからないかな。

「先輩。俺、確かに前は春美さんのこと好きでしたけど、今はもう違います」
「前って・・・」
「先輩と会う前ですよ」
「私と会う前?」
「そうです」
「・・・それって・・・」

先輩が言いにくそうに口の中で呟く。

「学食で、初めて話した日?」
「はい」
「・・・あれは、私が春美ちゃんのルームメイトだから、私に話しかけたんでしょ?」
「そうですよ。俺、先輩は春美さんのルームメイトだって知ってましたから、
前からどんな人か興味あったんです」

すると、先輩が俺を責めるような目で見た。

「私に近づいて、春美ちゃんを紹介してもらおう、って思ったからじゃないの?」
「まあ、そういう気持ちもありましたけど」

先輩は俺のことをしばらく睨んでいたけど、
やがて気が抜けたようなため息をついた。

今日は、ため息は俺の専売特許だと思うんですが。

「そんな正直に言わないでよ」
「え?だって、先輩が聞いてくるから」
「そうだけど。そうだけど・・・そうよね、好きな女の子のルームメイトが1人で食事してたら、
話しかけるよね。別に、利用してやろう、とか思わなくても」
「利用?先輩を?そんなことできる奴がいたら、お目にかかりたいですね」
「・・・ふふふ、そうね。私、そんな簡単に扱える人間じゃないもんね」

全くその通りです。
こんなに鈍いんですから。


俺は座ったまま先輩をぎゅっと抱き寄せて、先輩の耳に口をあてた。


「好きです」


先輩の身体が一瞬強張ってから、力が抜ける。

「先輩はさっき、俺のこと好きだったって気付いたって言いましたけど、あれも過去形ですか?」
「・・・」

少し間が空いてから、俺の肩の上で、先輩の頭がそろそろと左右に揺れた。


それから俺の耳元で、
「好き」という小さな小さな声がした。
 
 
 
  
 
 
 
 
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