第1部 第3話
 
 
 
 
私は、ミートスパゲティに粉チーズをふりかけ、
手を合わせて口の中で「いただきます」と言った。


ここは、学校と寮兼用の学食。
食事時は300人近い生徒でごった返すけど、
夜10時ともなれば誰もいない。

みんなもう寝てるか、勉強してるか。
外で遊んでいる生徒なんかはいないだろう。

もちろん、門限がないから遊んでてもいいんだけど・・・


「ここ、いいですか?」

突然声をかけられ、私は反射的に頷いた。
すると、声の主は「ありがとうございます」と言って、
私の目の前に腰掛けた。

こんなにガラガラなのに、どうして私の前に座るのよ、と思ったけど、
同時に、まあどうでもいいや、とも思った。

だけど。

「・・・」
「あの。どうかしましたか?」
「・・・ううん」

私は、とにかく顔を上げないようにして、ミートスパゲティに集中した。
だって、目の前にいるのは、よりにもよって一番お近づきになりたくない生徒だ。

「迷惑だったら、席、変わりますけど」
「・・・そんなこと、ないわよ」

ある!

でも、いくらなんでも後輩相手に、そんな大人げないことは言えない。

そう。
これは訓練よ。
社会に出たら、嫌いなタイプの人間も相手にしなきゃいけない。
特に、企業の上層部連中には変わり者も多い。
だから、誰とでも卒なく会話できて、仕事を進められるようにならないと。

これは、そのための訓練だ。

私は、意を決して、できるだけ愛想のいい笑顔で柵木湊を見た。

「夕ご飯、遅いのね」
「今まで『バイト』だったんです。小倉先輩も遅いんですね」

あれ。私の名前、知ってるんだ。
それに、結構まともな言葉遣いするのね。

驚いた拍子に、私は愛想笑いを解いて素の顔になってしまった。

「あ・・・うん、私も『バイト』」
「そうなんですか。あれ?
でも、『バイト』って高3は受験に専念するために免除されてるんじゃありませんでしたっけ?」
「普通はね」

私は頷いて、再びフォークを動かし始めた。

「バイト」というのは、もちろん「アルバイト」のことだけど、
海光ではこの「バイト」も授業の一環。
労働というのはどれほど大変で、どんな仕事をどれくらいすればいくら貰えるのかを、
肌で感じて来い、という訳なのだ。

バイト先は学校から指定されて、3ヶ月から半年のスパンで変わる。

私も4月から、本屋さんで「バイト」をしている。


「ちょっと、理由があってね」
「・・・へえ」

私が言葉を濁すと、柵木湊はそれ以上は聞いてこず、自分のお盆の中のうどんを食べ始めた。
一口で一気にうどんの3分の1くらいがなくなる。
私は目を丸くして思わず言った。

「凄い食欲ね!」
「あー。いえ、脳は食いたがってないんですけどね。やっぱり身体は食いたがってるのかな」

訳のわからないことを言って、柵木湊が微笑む。
その思いがけず人懐っこい笑顔につられて、私も自然に微笑んでしまった。

「バイトで、ずっと飯の盛り付けしてたから、もう食い物なんて見たくもないんですけど、
やっぱり、疲れてるのかな」
「ご飯の盛り付け?ファミレスか何かのバイトなの?」
「いえ。老人ホームです」
「ああ、ホームの夕ご飯の盛り付けをしてたのね」
「はい」

柵木湊はまた微笑むと、今度は少しゆっくりうどんを食べた。

私服姿の柵木湊は、どこからどう見ても中学生のように幼い。
茶髪も右耳の青いピアスも、なんだか可愛らしく思える。

よく見ると、うどんの横には、小さいシュークリームが置いてある。
袋に入った1個50円の、おもちゃみたいに安っぽいシュークリーム。
こんなの食べるんだ。
子供みたい。


「・・・バイト、初めてだよね?どう?大変?」

思いのほか話しやすそうな雰囲気のせいか、
ふと、話を振った。

「そうですねー。大変です。でも『兄ちゃん、うちの孫みたいだ』って、
俺のこと可愛がってくれる、じーちゃん・ばあちゃんも多くって」

私は今度は声を上げて笑った。
この茶髪でピアスの柵木湊が、タフなじーちゃん・ばあちゃんに手を焼いているところを
想像してしまったのだ。

・・・って、こんなに声を上げて笑うなんて、久しぶり。
いつ以来だろう。

「先輩は、何のバイトなんですか?」
「本屋さん。レジでボーっとしてるだけかと思ったら、結構体力仕事で大変よ」
「あー、そうですね。本を運んだりしないとダメなんですよね?
俺も、いつか本屋のバイトが回ってくるかなー」
「そうね。あ、でも、私まだ、老人ホームってしたことないな」
「面白いですよ。お年寄りに『おい!そこのピアスのあんちゃん!』とか言われて
こき使われますけど」
「あはは」
「あ。先輩、俺の名前知ってます?」
「『ピアスの柵木』君、でしょ?」
「ピアス、は余計です」
「だって、付けてるじゃない」
「あれ?俺、そんなものつけてましたっけ?」
「ふふふ」


この日、自分で決めている就寝時間の11時半は、
いつの間にか過ぎていた。
 
 
 
  
 
 
 
 
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