第1部 第8話
 
 
 
百万円、貸して欲しい

月島さんのその言葉に私が困惑していると、月島さんは吹き出した。

「嘘だよ、嘘。お金を貸して欲しいって言うのは本当だけどね。百円だよ」
「百円?なんですか、それ」
「十円でも、逆に千円でもいいけど。額はどうでもいいんだ。
寺脇マユミさんからお金を借りる、ってことに意味があるから」
「え?」
「うん・・・あのね」

月島さんは姿勢を正した。

「誰にも言わない?ナツミにもだよ?」
「えっ、あ、はい」
「実は僕、劇団に入ってるんだ」

げきだん?
げきだん・・・
ゲキダン・・・
劇団・・・

「劇団!?」
「う、うん。声大きいよ、マユミちゃん」
「あ。ごめんなさい・・・あんまりビックリしちゃって」

私は目を白黒させた。

「劇団って、月島さん、お芝居やるんですか!?」
「うん・・・そうなんだ。人に言うのはなんとなく気恥ずかしいんだけどね」
「・・・」

信じられない。
でも、月島さん、かっこいいもんね。
きっと舞台の上でも映えるんだろうな。

・・・うん。なんか、想像してみると意外としっくりくるかも。

それでこの前、あの映画を見たかったんだ。

「お姉ちゃんにも言ってないんですか?」
「言うタイミングを一度逃すと、中々言い出しにくくってさ」

確かにそんなもんだろう。
でも、お姉ちゃんも知らない月島さんの秘密を私が知ってるって・・・

なんかちょっといい気分。

「それと私から百円借りるのと、関係があるんですか?」
「そうなんだ。えっと、何から説明しようかな。まず、劇団の運営方法から説明した方がいいね。
劇団って凄くお金がかかるんだ。小道具・大道具代、衣装代、稽古場を借りる費用、
公演をする舞台費用、その他もろもろね。
それらは、劇団員からの会費と、企業と個人からのカンパでまかなってる」
「へええ」

大変なことなんだろうけど、月島さんは活き活きと話す。
本当にお芝居が好きなんだなぁ。

私は何故かふと、「これが本当の月島さんなんだ」と思った。
別に月島さんは普段から自分を作ったりはしてないんだけど・・・
なんとなく、そう思った。

そして今の月島さんは、より一層魅力的に見えた。

「カンパの額は自由なんだけど、企業の場合、カンパしてくれた企業の広告を、
公演のパンフレットに載せるんだ。たくさんお金を出してくれた企業の公告ほど、
目立つところに大きく載せる」

なるほど。

「でも個人からのカンパは純粋な寄付みたいなもんだね。
舞台の招待券を渡すくらいしかお礼はできない。
もちろんパンフレットの『後援』とかの欄に名前を載せさせてはもらうけど、
その人には特にメリットはないね」
「じゃあ個人でカンパする人っていうのは、
純粋に月島さんのいる劇団を応援してくれてる人ってことですか?」
「うん。ありがたいことだよね」

本当に感謝の気持ちを込めて月島さんがそう言う。

「あ!わかった!そこに、私の名前を載せたいんですね?」
「正解。12月に舞台があって、もうすぐパンフレットを作るんだ。
寺脇家の人間の名前がうちのパンフレットに載ったら、それだけで注目を集めるからね。
企業も『寺脇家がカンパするような劇団なら、もう少し金を出してもいいかな』って思うだろうし」
「へえー!私って凄い!」
「あはは、そうだよ。凄いんだよ」

私も月島さんに合わせて笑ったけど、
心の中ではちょっとガッカリしていた。

なんだ。月島さんが私に付き合ってくれてたのは、この為だったんだ・・・

でも、それでもいい。
寺脇家の人間であるお陰で、月島さんの役に立てるんだから。
それに、たまたまとはいえ、お姉ちゃんではなく私が。

「分かりました。でも、カンパって寄付なんですよね?
だったら『お金を貸して欲しい』じゃなくて、『お金を欲しい』じゃないんですか?」

私がそう言うと、月島さんは少し困った顔になった。

「本当はそうなんだけどね。マユミちゃんからは、例え百円でも貰うのは悪いし、
ただでさえ、名前を貸して欲しいなんて失礼なお願いしてるんだから、お金は僕から個人的に返すよ」
「そんな・・・いいですよ。私、月島さんを応援します。だから、普通にカンパさせてください」

私は鞄を開き、財布を取り出した。
そして百円を・・・

ちょっと待って。
この前の映画も、今日のデートも、月島さんが全部お金を出してくれた。
多分、このケーキ代も出すつもりだろう。

雰囲気からして月島さんの家も裕福みたいだから、甘えてもいいのかもしれないけど、
ここで百円しか渡さないっていうのは、余りに失礼な気がする。

私は、お札が入っている方の口を開くと、
そこに入っているお札を全部取り出して月島さんに渡した。

「はい」
「・・・え?こんなにいらないよ」
「いいんです。カンパの額は自由なんでしょ?」

普段、現金を持ち歩くことはないけど、今日は一応持ってきた。
多分、5万円くらいはある。

「それに、寺脇家の娘からのカンパが百円だなんて他の人に知られたら、
パパが馬鹿にされちゃいます」

すると月島さんは、声を立てて笑った。

「それもそうだね。じゃあこれはありがたく頂くよ。でも絶対返すから」
「いいですって。それより、私にも招待券くださいね」
「えっ」

月島さんが固まる。

「み、見に来るの?」
「はい」
「・・・恥ずかしいんだけど」
「舞台を見に行くのは個人の自由ですよね?だったら、招待券をもらえなくても、
普通にチケットを買って見に行きます」
「あはは、わかったよ。パンフレットと招待券ができたら渡すよ」

月島さんはお金を丁寧にたたんで財布に入れると、
今度はそこから小さく折りたたまれた紙を取り出した。

「これに、サインもらえるかな?」
「借用書?」
「違うよ。それなら僕が書かないと」
「あ、そっか」
「パンフレットに載る『寺脇マユミ』が本物の寺脇家の次女かどうか、
確認したがる企業もいるだろうからね。会社のお金を出すんだから、当然だけど。
その時、マユミちゃんの直筆のサインがあると、役に立つんだ。
できれば、シャチハタじゃない寺脇家の印鑑もあると助かるんだけど」

印鑑?
さすがに今日は持ってない、って当たり前よね。

「分かりました。この紙持って帰っていいですか?家で押して、今度お渡しします」
「いい?ごめんね、面倒なことばかり頼んじゃって」
「いいえ!全然!」

だって!そうすれば、また月島さんに会えるじゃない!

「シャチハタじゃない判子なら、なんでもいいですか?」
「うん。あー・・・でも、贅沢を言わせて貰えば、認めじゃない方がいいな・・・
銀行印か実印、って、さすがに無理か。認めでいいよ」
「でも銀行印か実印の方がいいんですよね?」
「うん。でも、銀行印はともかく、実印なんてそう簡単に押していいものじゃないよ」
「大丈夫!任せてください!」

お姉ちゃんなら、こういうことは絶対できないだろう。
でも、私はできる。
自信がある。

こういう違いを月島さんに気付いてほしい。


月島さんは私がケーキとミルクティを食べ終わるのを待って、
伝票を手に立ち上がった。

「そうだ、マユミちゃん。誤解がないように言っとくけど」
「はい」
「僕がマユミちゃんとこうして出掛けたりしてるのは、さっきのことをお願いするためだからね?」
「・・・はい」

膨れ上がっていた気持ちが、一気にしぼむ。

わかってる。
わかってるわよ。
わかってるけど・・・言わないで欲しかったな。

私は小ぶりの鞄の持ち手を、両手で握り締めた。

月島さんはスタスタとレジに向かって歩いていく。
私もその後を、俯いたまま少し離れて歩く。

「・・・自分の中にそういう大義名分がないと、ナツミの妹なんて堂々と誘えないからさ・・・」
「え?」

思わず足を止める。

月島さんはチラッと私を振り返ったけど、
慌ててまた前を向くと歩調を速めた。
 
 
 
  
 
 
 
 
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