第3部 第9話
 
 
 
練習を終え、部員がクールダウンのためにストレッチを始めると、
師匠は真っ直ぐに体育館の入り口に立っている私の方へ歩いてきた。

空手着姿で汗をかいている師匠は、いつもよりずっと男らしくてかっこよくて、
なんかドキドキする。

「珍しいな。てゆーか、マユミが俺の部活見に来るのなんて初めてか」
「うん。気付いてたんだ」

こっそり見てるつもりだったんだけど。

「なんでこっそり見る必要があるんだよ」
「彼氏の部活を影から見守るって、いかにも彼女らしくない?」

敢えて彼氏・彼女ぶるのが好きな師匠だから、
こういうシチュエーションが好きかなと思い、やってみたのだ。

ところが師匠は、胡散臭そうに片目だけ細めて私を睨んだ。

「もう終わるから、ちょっと待ってて」
「・・・うん」

あれ。
なんか機嫌悪そうだけど・・・
私、何かまずいことした?


師匠は軽くストレッチすると、体育館の横の扉から外に出て、
すぐ隣にある部室棟へ入っていった、
かと思ったら、5分もしないうちに出てきた。

制服に着替えてるのはもちろん、髪が濡れてるからシャワーも浴びたんだろう。
師匠といると、男子の生態系について考えさせられることが多い。

「髪、ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ?」
「歩いてるうちに乾くだろ」

乾く前に凍りそうだけどね。
そう思ったけど、師匠の機嫌が相変わらず良くないので、
言わないことにした。


堀西学園は同じ敷地内に小学校から大学・短大まであるからめちゃくちゃ広い。
更に校舎から校門までの間に公園のような庭や噴水、アプローチがあるから、
校舎から校門まで歩こうと思うと軽く20分近くかかる。
だから私を含め、ほぼ全生徒が家の車で送迎してもらってるけど、
自称・貧乏人の師匠は駅から校門の間、更に校門から校舎の間を毎日歩いている。

ちなみにお姉ちゃんは、昔は私と一緒に車で送迎してもらってたけど、
ノエルさんに感化されてからはしばらく、電車とバスと徒歩で通学していた。
でも、「マユミが家の車で行くんだったら、同乗したほうが電車賃とバス賃が浮く」ということに
遅ればせながら気付き(最初から気付いてよ)、今は昔と同じく車組だ。

お姉ちゃんのことはどうでもいいとして、
とにかくそういう訳で、師匠と一緒に帰る時は私も徒歩だ。
今日も師匠と一緒にテクテクテクテク・・・と歩いて校門に向かった。

が、その途中。
不意に師匠が私の手を引き、学園内の庭の中へと入っていった。

「し、師匠?どうしたの?」

だけど師匠は無言のままどんどん庭を突っ切り、
いつの間にやら校舎の裏の方まで来てしまった。

暗いし寒いしひと気はないし・・・なんだか物騒だ。

おお。これはまたやばいぞ。

私は即座に戦闘モードに入り、
両腕を胸の前で縦にする。

すると案の定師匠は、そのまま私を抱き締めてキスをしだした。

ギュッと抱き締められているので身じろぎもできないけど、
腕のお陰で師匠と私の身体の間には少し距離がある。


師匠はしばらくキスを続けて、そのまま首筋に唇を落とし・・・
私が腕を伸ばして師匠の身体を引き離す。
そして、「それ以上やったら結婚、だからね!」「はいはい、分かってるよ」
という会話が交わされて終戦を迎える。

これがいつものパターンだ。
今日もそろそろ終わらせなきゃ。

ところが。

あれ?
腕が伸びない?

師匠が余りに強く私を抱き締めているので、
腕が伸びないのだ。

私は慌てて身体をよじり、師匠の腕から逃げようとした。
でも、それもできない。

「師匠!それ以上やったら・・・!」
「結婚?まあ、それもアリかもな」

アリじゃなーい!!!

師匠がようやく少し腕を緩め、ホッとしたのも束の間、
何をどうやったのか、
一瞬で私のコートとブレザー、おまけにブラウスのボタンが外された。

そして師匠が、いただきます!と言わんばかりにブラの上から私の胸に顔を埋める。
こんな時ではあるけど、私は「ババシャツ着てなくてよかった」と心底安堵した。

「ちょ、ちょ、ちょっと、タンマ・・・」

思わず上ずった声でそう言うと、師匠はゆっくりと私の胸から顔を外し、
上目遣いで私を睨んだ。

「何?」
「何って・・・」
「結婚するんだったらいいんだろ?」
「・・・」

どうしよう。そりゃ確かに「したら即・結婚!」とは言ったわよ?
でもそれは、そうしたいからそう言ったんじゃなくて、
師匠を牽制する為にそう言っただけで・・・

それを逆手に取って「じゃあ結婚するから、やろう」っていうのはずるくない?

いや・・・ずるくないか・・・
師匠は私の言いつけを守ってるだけだから・・・

ああ。もう、よくわかんない。

私が困り果てていると、
師匠は私の肩を掴む力を緩め、身体を起こした。

またキスするのかと思ったけど、そうじゃないらしい。
師匠は「はあ」と少し怒ったようなため息をついた。

私はため息の意味を理解できないまま、とにかく服を整える。

「昨日、何かあった?」
「へっ・・・?」
「昨日は例の尾行をやってたんだろ?」
「あっ、うん。そう、だけど」

唐突な質問に、思わず動揺してしまう。
そんな私を見て、師匠はもう一度ため息をついた。

「何かあったんだな?」
「・・・」
「でなきゃ、マユミが俺の部活終わるのを待ってるなんて有り得ないもんな」
「そ、そんなことないよ!」
「じゃあ、なんで急に今日は待ってたんだよ。今までそんなことしたことないくせに」
「・・・」

そうか。それで師匠は不機嫌だったんだ。
今のも、本気だった訳じゃなくて、ちょっとしたオシオキのつもりだったんだろう。
まあ、私が拒まなければそのまま・・・だっただろうけど。

師匠に嘘はつけないと思い、私は正直に話すことにした。

「・・・実は尾行の後、男の人と2人で食事をしました・・・ごめんね?」

師匠の様子を伺いながら、おずおずと謝る。

「男の人」と言っても、所詮は伴野聖だ。
やましい事は何もない。
でも師匠は「『一応』なお付き合いだから、敢えて妬いとくんだよ」と言いつつ、
実は本当にヤキモチ妬きなんじゃないかという気がする。

だから、わざわざ言う必要はないかなと思ったのだが、
それが裏目に出てしまったようだ。

師匠の目が急に冷たくなる。

「ふーん。『お義姉様』の彼氏と?」
「ううん」
「じゃあ、誰とだよ?」
「えーっと・・・トラ、男と・・・」
「トラ男?あの劇団の?」

一瞬の驚きの後、たちまち険悪オーラ全開になる師匠。

知らなかった。
師匠って怒ると怖いんだ。

「トラ男って、マユミの元彼かなんかなんだろ?なんで今更2人で会う?」
「偶然会っちゃったの。で、お義姉さんのことでちょっと協力してもらって・・・
それで私が夕ご飯を奢っただけ」
「・・・」

師匠は私の言葉を信じられないのか、私に背を向けると、
さっき歩いてきた道を無言で戻り始めた。
私も慌てて師匠の後を追う。

「師匠!本当だって!」
「ふーん」
「てゆーか、元彼じゃないし!」
「ふーん」
「信じてってば」
「別に嘘だなんて言ってないだろ」

・・・なんなんだ。
なんで私がこんな一生懸命弁解しなきゃいけないんだ。
お互い好き合ってつきあってる訳でもないのに。

これも師匠の演技なの?
そうならはっきり言ってかなり面倒臭いんだけど。

なんか段々イライラしてきた。

「・・・師匠」
「なんだよ」

私は全然私の方に振り向いてくれない師匠の後頭部に向かって、
思い切り鞄を投げつけた。

師匠がぎょっとして振り返る。

「何もやましい事なんてないんだってば!
それに、彼氏がいたら男友達と食事もしちゃいけないの!?
私、そんな束縛されるお付き合いなんて面倒だから嫌よ!!」
「ご、ごめん・・・」

私の剣幕に驚いた師匠が反射的に謝る。
でも、私は止まらない。

「第一、師匠は何考えてんのよ!?
本気で妬いてるの!?なら、はっきりそう言ってよ!!
お遊びみたいな演技につき合わされるのなんて、ごめんよ!!」

私は言いたいことをぶちまけ、ゼエゼエと肩で息をした。
息をする度に、身体の中からイライラが抜けていき、
後に残ったのは、なんとも形容し難い虚無感だった。

ああ、もう・・・なんで私がこんなに苦しまなきゃいけないのよ・・・

ところが。

「ぷっ」
「・・・ちょっと、師匠。私、怒ってるのよ?笑うとこじゃないでしょ?」
「いや・・・あはははは、そんなに顔真っ赤にして怒らなくても。ガキみてー」
「なっ!!」

ますます顔が赤くなる。
それにつれて師匠の笑いもエスカレートし、
お腹を抱えて笑い出した。

「あはははは・・・はあ、笑った、笑った。マユミは飽きないなー」
「・・・」

ひとしきり笑った師匠は勝手に何かに満足したようで、
私に近づくと、チュッといつもの軽いキスをして手を握った。

とたんに、私の中の虚無が何か温かい物で満たされて行く。

「さあ、帰ろっか」
「・・・あのね」
「なんか食って帰る?俺、今日はラーメンって気分だなー」
「質問の答えは?」
「どの質問?」
「全部」
「ご想像にお任せします」

何よ、それ。
ずるい。

心の中でそう愚痴りつつ、
でももう怒っていない自分に気がついた。

「豚骨ラーメンの専門店に行こうぜ」
「え。やだ。私、味噌ラーメンが食べたい」
「ラーメンは豚骨だろ」
「味噌だよ!」
「牛骨も美味いぞ」
「牛骨?そんなラーメンあるの?」
「よし、今日は牛骨ラーメンだ」
「うん!」


師匠と私は「寒い、寒い!」と言いながら、
小走りに学校を飛び出した。
  
 
 
 
 
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