第4部 第11話
 
 
 
お腹を抱えて笑う私を、
聖は訝しげな顔で見ている。

「何笑ってんだよ、マユミ。頭おかしくなったか?」
「あはははは・・・ううん。おかしいのは聖の方だよ。てゆーか、大丈夫?」
「何が?」
「『ロミオとジュリエット』の劇。聖って案外演技、下手なんだね。
そんなんで本当にロミオを演じれるの?」
「なっ」

聖が少し赤くなって顔をしかめる。

私はようやく笑いがおさまり、
靴の先っこをトントンと地面に軽く打ちつけた。

「私なんかに簡単に嘘を見抜かれてるようじゃ、聖もまだまだね」
「嘘って・・・」
「もし本当に聖が博子のことを好きになって、私と別れたいと思ってるなら、
帰ってくるなり『他に女ができたから別れようぜ』ってあっさり言うわ。それが聖よ。
それをわざわざ、私とご飯食べたり、抱いたり、
聞いてもないのに博子のことを好きになったなんて言い訳して・・・
しかも『別れて欲しい』なんてお願い染みた言い方、全然聖らしくない」
「・・・俺、そんな酷い奴じゃねーぞ」
「酷い奴よ。私が一番良く知ってるんだから」
「・・・」

聖はフッと息を吐くと少し笑顔になった。

「マユミには敵わねーな」
「でしょ?聖に鍛えられたんだから。・・・どうして、あんなこと言ったの?」

聖の顔からまた笑みが消える。

「それは聞くな」
「分かった。じゃあもう、別れるなんて言わない?」
「・・・」

期待はしてなかったけど、
聖から事実を聞きだすのは無理みたいだ。

私は聖に背を向けると、
勢い良く部屋を飛び出した。

驚いた聖も慌てて私を追いかけようとしたけど、
聖が靴を履いている間に私はもうアパートの廊下を駆け抜け、
目的地の前に辿り着いていた。

明るいコンビニの中に博子の姿が見える。

博子はお客さんにお釣りを渡すと、
マニュアルで決められたとおり笑顔で「ありがとうございました」と頭を下げた。

そして・・・コンビニの入り口に立つ私に気が付いた。

その顔から表情が消える。

「マユミじゃない。どうしたの?・・・って、うまく行かなかったみたいね、伴野さん」

いつの間にか私に追いついた聖が、私の後ろに立っている。
でも今は、聖に振り返る余裕もない。

博子はしばらく聖と私を見比べていたけど、
ぷいっと背を向けるとフライヤーでフライドポテトを作り始めた。

店内にお客さんはいない。
バイトの人がもう1人いるはずだけど、
まだ来ていないのか、奥の部屋にいるのか・・・
とにかく店内には私達3人だけだ。

私はカウンターの中に入り、博子に詰め寄った。

「博子!どういうこと?聖と何があったの?」
「怖いわねー、捨てられそうになってる女って」
「博子!」

博子は油の中に冷凍のポテトを入れ、
キッチンタイマーで揚げ時間をセットした。

「何もないわよ」
「嘘!」
「本当よ。私はあんたと伴野さんが別れればそれでよかったの。
あんた達が苦しめば、それでよかったのよ」
「・・・え?」

博子がポテトをすくう為の金属製のザルで、
無表情のまま油を描き回した。

冷凍ポテトの氷が解けて、パチパチと油が飛ぶ。
その小さな音が、店内に流れている音楽より大きな音に聞こえる。

「マユミ。あんた、私の名前知ってる?」
「え・・・博子、でしょ?鈴木博子」
「そうよ。まだ、分かんない?」
「?」

博子が何を言いたいのかさっぱり分からない。

「まあ、私のこと分かんないのは仕方ないわね。
じゃあ、私のお父さんの名前は?鈴木耕一っていうんだけど、知ってる?」

私は首を横に振った。
そんな名前、聞いたことがない。
あるかもしれないけど、別に珍しい名前でもないし、忘れているのかもしれない。

博子は大袈裟にため息をついた。
私を馬鹿にしたようなため息だ。

「あんたってほんと、温室育ちのお嬢様よね。
私もちょっと前までそうだったけど、あんたのお陰で温室を追放されたわ」
「追放?」

私が動揺していると、
後ろから聖の低い声がした。

「マユミ。鈴木耕一っていうのは、寺脇建設の前社長だ」

寺脇建設の前社長。

私はしばらくその意味が分からなかった。
でも、分かった瞬間・・・血の気が引いた。

「え、じゃあ博子は・・・寺脇建設の前社長の娘・・・?」
「そうだ」

寺脇建設の前社長が「前」社長になったのは、
他でもない聖と私の責任だ。

おもちゃショー建設のコンペで伴野建設を勝たせるために、
聖は月島ノエルの振りをして私に近づき、寺脇家の実印の印鑑と私の直筆のサインを手に入れた。
そしてそれを裏で取引し、
寺脇建設が売春の仲介に関わっているかのように見せかけたのだ。

そして結局、何の責任も無い寺脇建設の当時の社長が責任を取り辞任した。

その「当時の社長」というのが、博子の父親の鈴木耕一、らしい。

そういえば以前聖が、
最初は私ではなく寺脇建設の社長の娘に近づこうとしたけど、
思いのほかしっかりした娘だったから諦めた、と言っていた。

それが、博子なんだ・・・。

目の前の博子が別人に見えてきて、
私は愕然とした。

実際博子は、今まで私に見せたことのないような顔で笑っている。

「ほんと、おめでたいよね。そりゃ私は年末のくだらない慰労会とかには参加したことないから、
私の顔や名前は知らないだろうけど、
寺脇コンツェルン内の会社の社長の名前くらい覚えときなさいよ」
「・・・ごめん。博子、あの・・・」
「事情は伴野さんから聞いたわ。
でも、誰が悪かったかとかなんて、もうどうでもいい。
私は周りから散々白い目で見られて、結局高校も辞めざるを得なくなったのよ」
「そんな・・・!だって、寺脇建設は無実だって警察がちゃんと公表したじゃない!」

博子がポテトをザルですくい、トレイの上にあけながらケラケラと声を上げた。

「これだから、マユミは温室育ちだって言うのよ!
誰が、あんな謝罪とも言えないような地味な会見を聞いてるっていうの?
みんなの頭の中には『寺脇建設が、寺脇建設の社長が、売春に関わってたらしいぞ』
っていうことしか残らないのよ!
それまでお父さんのことを、立派な人だね、なんて言ってた人たちも、
掌を返したように『やっぱりね。悪いことしてそうな顔してたもんね』なんて、言い出して・・・」
「・・・博子・・・」

博子の気持ちは痛いくらいにわかる。
今でも全ての人がパパのことを良く思っているわけではないし、
私も一歩間違えれば、すぐに博子のような立場になってしまうから。

でも、博子の「一歩」をおかしくしたのは、他でもない私自身なんだ。

私は拳を握り締めた。

「そりゃ、お父さんは相談役っていう肩書きと退職金まがいのお金は貰ったけど、
そんなものが何だって言うの?むしろ逆効果よ。
世間は『悪いことしたくせに、会社にしつこくとどまりやがって』としか見てくれないわ。
今はお金に困ってないけど、将来どうなるかわからないし・・・。
だから、私もバイトなんか始めたのよ」
「・・・」
「でも、しばらくしてあんたが入ってきた時にはビックリしたわ。
悪気があったのかなかったのかは知らなかったけど、寺脇建設が滅茶苦茶になったのは、
あんたの軽薄な行動のせいだって警察から聞いて知っていたからね。
まさか、こんなところでその当人と顔を合わせるなんて、
偶然って怖いよね!・・・もっとも、あんたは私が誰かなんて、全然気付いてなかったけど」
「・・・」
「しかもあんたときたら、お金なんて有り余るほど持ってるくせに、
彼氏のために使うお金は自分で稼ぎたいの!なんてオママゴトみたいなこと言って、
必要もないバイトしたり、こともあろうに私に彼氏と会うためのアリバイ作りを手伝わせたり。
ふざけるのもいい加減にしろって感じよ」

私は言葉もなく博子の口撃にひたすら耐えた。
何を言っても聞いてもらえないだろうし、
何も言うべきことはない。

博子が言っているのは全て事実だ。

博子はまた私に背中を向け、
フライヤーの中の油を混ぜ始めた。

「何か仕返ししてやる方法はないかなーって思ってたら、
タイミングよく伴野さんが、
『マユミは何も悪くないから、そっとしといてやってくれ。
どうしても許せないなら、俺が責任取るから』なんて言うから、
だったらあんた達2人で仲良く痛み分けしてもらおうじゃない、と思って、
『伴野さんが私に惚れたことにしてマユミを振れば、忘れてあげる』って言ったの。
でも、失敗しちゃったみたいね」
「そんな・・・!博子!」

私はさすがに堪りかねて博子の肩を掴んだ。

博子が驚いたように、私に振り返る。

その瞬間。
顔の左側に、激しい衝撃が来た。

それと同時に視界が真っ白になり、
私は遠くに「マユミ!」という聖の声を聞きながら、床に崩れ落ちた。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
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